2015-10-23 平成27年度学校図書館学会記念講演記録
演 題 教科書と読書への夢―国語教科書作りの経験から―
光村図書出版株式会社代表取締役社長
日本学校図書館学会顧問 常田 寛 氏
日 時 平成27年5月23日(土)
場 所 帝京科学大学
みなさん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました光村図書の常田でございます。小川先生から今入社60年と言われましたが、60年は行っておりませんで、入社して53年間くらいだと思いますが、編集の仕事をほとんどやってまいりました。今日は、教科書のお話をということですが、はたして、私がこれからお話させていただくのは、自分の経験ですし、一出版社のことなので、どうかなという気もございます。いずれにしましても、教科書が教材になっていく過程は非常にいろいろ複雑ですし、いろいろなできごとがございますので、そういう面をできるだけご紹介させていただこうと思っております。たびたび我が社の話になってひょっとすると自慢話のようになると困ると思いますが、そういうつもりはございませんのでひとつよろしくお願いしたいと存じます。
それでは私のやった経験ですのでそれをご紹介させていただきたいと思います。今お手元にお配りした教科書の中にも依然残っている教材でそうとう長く使われている教材があります。これ以外にももちろんたくさんあるわけですけれども、今日は、できるだけ今も使われている教科書の中の教材を中心にしてお話し申し上げたいと思っております。
教科書が出来るまでですが、先生方はすでにご存知の事と思いますが、ざっとここに示しましたが、我々の仕事というのは、実際に子どもの手に渡るまでにはスタートしてから検定に出して、採択があって、そして子どもの手に渡るまでにおよそ4年かかります。それで編集期間というのはここにありますように2年と書いてありますけれども、実際には1年半ぐらいで、残りの半年ぐらいというのは、白表紙(教科書で印刷して見本通りになっていて表紙だけが白い表紙で出すという形ですので、全部印刷から何から一緒になったもの)を出さなければならないということですので、実際に編集会議などに関わるのは1年長くて1年半。実質1年でほとんど決めていかなければならないという状態です。4年あるからと思っていても、とても短いので、我々にとしてはここに集中的に仕事がかかってくるという訳です。同時に編集している間には、中学校もスタートしなければならないということで、オーバーラップするので非常に錯綜する仕事であります。
今年は中学校の採択年度なので、編集の方は見本本になっているのでほっとしていることだと思いますが、また新しい指導要領がどういうふうになるか注目されている所で、今から準備をしなければならないと思います。また、道徳の教科化、小学校の英語ということでございますので、これを早く指針を示していただけばいいのですけれども、おそらくなかなか出てこないので、予想で仕事をするとあとで齟齬をきたしてしまったりするので、この辺のかねあいが非常に難しいと思っております。
4年間の中で編集期間というのは、こんな時間しかないということをご理解いただいたと思います。そして皆さんご存知のように、小学校の教科書というのは物語教材と詩教材は外部に公表されている作品がいっぱいございます。そういったものを最終的に教材にどれを採るかということで、位置付けていきます。しかし、あとの60パーセント近くの教材というのは、作文教材や聞く話す教材、説明文など、そういったものは全部書下ろしになります。特に一番時間がかかるのは説明文であります。説明文というのは、我々が執筆しても感動が生まれるような文章にはなかなかならなくて、やはり題材が決まりますとその専門家に交渉いたしまして原稿を書いていただくことになります。学年が「2年生ですよ」と言っても専門家が書く最初の原稿はとてもではありませんが、5・6年生のレベルですので、2年生にまで下げていくのは至難の業で、だいたい3・4回書き直しをお願いします。そのうちに大変怒られたりします。私もさんざん怒られてしまったことがありまして、「いいかげんにしろ」と言われて、それでも途中で投げ出すわけにはいかないので、なんとか説得をして書いていただきました。
今日はパワーポイントに入れておりませんが、かつて「脳の話」を子どもたちが興味をもつので、6年生に「脳の仕組の話」を京都大学の久保田先生にお願いをしたら、快く引き受けていただいたまでは良かったのですが、途中でニューロンとかシナプスというのが出てきまして、それでは子どもには分かりにくいので書き直していただけませんかという所から始めたら、「うん、やってみるよ」とはおっしゃったのですが、結局「無理だ」と言われてしまって、語彙についても非常に専門的で難しいので弱ったなと思って、3回ぐらい書き直していただいた後、また怒られますので、附属の小学校にお願いして実際に授業をしていただいて、初発の感想でやっていただいて、子どもたちがどこでつまづくか、どこで理解できないかを見ていただいて、指導教官の方と話をしていただいて、これならということがあって、やっとクリアしました。しかし、「ニューロンとシナプスは絶対にだめだ」とおっしゃるので、何か絵で示せませんかということになりました。普通の絵描きさんは描けません。先生の説明を受けても、よく分からなくて、やはり科学的なものを描ける絵描きさんをお願いして、久保田先生のもとでご指導をいただきながら作ったということがありました。こういうことは私だけでなく、多くの編集部員は必ずどこかで怒られて投げ出されることがしばしばあります。それは現在でもあります。今は、以前よりは、先生方も子ども向けの文章を書かれていることが多いので、前に比べますと大変楽になっていると思います。
教材というのは、いろいろな作品や説明文が原稿として完成いたしましてもそれは完成ではなくて、そこからの作業が大変です。教科書のページ割りをしたり、絵の位置とか文章との関係、何を入れなければいけないのか、この教材には絵がいいのか写真なのかといったことを含めたレイアウトということをやっていかなければなりません。こういった作業が延々と続くわけですけれども、それがどの学年かが抜けてしまうというと、なかなか作業が進まないので一斉に全学年が足並みを揃えるような形で教材が確定していかなければならないということで、これはかなり時間のかかる作業であります。
ここからは教科書の学年に沿って具体的にどういうことをやってきたのかということをお話をさせていただきたいと思っております。なんと言いましても、国語の教科書は、1年生も最初の段階が大事であります。入門期の第一教材というのが子どもたちがやる気になるかどうかのカギを握っておりますので、ここに非常な時間をかけて作成いたします。
これまで何回か入門期を作成してきて、改訂の時にいろいろやってきたわけですが、この「ウミガメの誕生」という入門期教材は、4場面構成ですが、これは学校の指導者の先生方、それから子どもたちにも大変評判が良かった教材でした。そして活発な授業ができた教材であります。これは一度昭和52年版あたりに登場したのですが、そのあと一回休んでもう一度復活させて、かなり長期に使いました。
入門期というのは子どもたちが幼稚園でいろいろな活動をしてきていますから、文字も読めますし、いろいろなことが話せるのですが、小学校ではいろいろな子どもが集まったクラスの最初の段階で、話せるからということで進めるわけにはいきませんので、この入門教材でもって言葉に関しては共通的な理解をさせていかなくてはならない。そんな教材で、題材的には、これは、ウミガメという非常にリアルな事実から根ざしたものをお話の形で擬人化しておりますけれども、ほかにも子どもたちが主人公で出てくるファンタジーなどもあります。動物が出てくるお話ももちろんあるわけですが、これらは4場面かもしくは8場面で構成することが多いのですが、できるだけ起承転結がはっきりしていて4場面構成ぐらいが子どもの集中力をそぐわないでやれる教材だろうと思います。
この「ウミガメの誕生」は、最初の扉のところでウミガメが生まれて出てくるところですが、一匹のウミガメからは大体250~300の卵が産み付けられます。それで、何日かすると生まれて地上に出て来るわけですけれども、そのときに、一番下で生まれてくる子はつぶされてしまうのではないかと思われますが、そうではなくて、実際には穴の壁面を伝って元気なものが順におもてに出てくる、そういった事実関係をはっきりきめた上で、画家とも相談していかなければなりません。「ウミガメ誕生」の時にはウミガメの研究の第一人者で姫路水族館の内田至館長さんにご相談させていただいて、どこまで擬人化したらよいのかというふうなことを相談しました。そして、実際には天敵がもちろん出てくるわけですけれども、いきなり天敵が出てきてしまうというのも、子どもたちにとっては大変厳しい話なので、「応援団的役割を担えるのはどの程度でしょうか」ということを伺ったところ、ここに出てくるようなシオマネキだとかチドリだと天敵にはならないので、「それは画面にあしらってもいいのでしょう」というお話がありました。
そして、生まれた順に急いで海に向かって行きます。海に行くときに、一斉に一本の道のようになっていますけれども、朝の暗いうちにスタートして、夜明けの前にほとんどが海に入っていくという状態なのですが、いっぺんに放射状にみんな海に向かっていくのだそうです。そしてそれは天敵に見つからないようにということと、一列ですと災害に遭う場合もあるので、一斉に広がっていくのだとか、そういう事実関係を絵描きさんと一緒に相談しながら、そして擬人化がどこまでならいいのだろうかというような話をします。この程度なら、子どもが「一緒に行こうよ」とか「早くおいでよ」とか言葉が出てくるような場面というものが許されるだろうということで、事実に根ざしてはいるのですけれども、必ず三者でこういうものを作っていきます。この絵は実際には明るすぎてしまうのでしょうが、このように、もっと広がって出てくるそうです。ウミガメの場合は海に到達すればそれで安心というのではなく、海の中に入ってからも、大きな冒険が待っていますし、危険も待っています。そしてウミガメはまた自分が生まれたところに戻ってきて産卵するということになります。ですから、生まれて海に冒険に行って、また戻ってくる、そういったことも、これは示唆しているわけですが、一年生ですので、こ内容が4場面で学習していき、ストーリーの流れが掴みやすいことと、どこから絵を見ても発言できるということでよかったのかなと思います。言葉としては、清音だけが出ていて、場面の説明程度が提示されています。
現在使用中の入門期では、最初の場面で、「朝」という詩を中川李枝子先生に書いていただいて、これは先生のお力のお借りして最初にみんなで声に出して読むわけです。大きな声を出して読んで、それから物語に入っていくということで、最近は、濁音も長音も出てくるようになりました。学習の場でもそれは抵抗なく行われるような時代になりました。これは子どもたちが中心で活動する現実の世界からファンタジーの世界に行ってまた、現実に戻るというようなことで、すべていろいろなことで動物も子どもたちも一緒につながるというテーマで学習が行われていきます。これがいまの入門期です。
それから1年生の教材で「おおきなかぶ」。これは各社共通教材ですが、今までは福音館の佐藤忠良さんの絵本が有名ですが、私どもも最初の頃は佐藤忠良さんの絵だったと思います。昭和46年ぐらいの編集会議等々で、その国の作品はできるだけその国の画家に描かせたらどうかという提案がございまして、それではできるところからやっていこうということで、この「おおきなかぶ」はロシアの民話ということで、依頼しようということで始めました。今でしたら東京にいて、エージェンシーと交渉すればできますが、この当時はソビエト時代でしたので、向こうに行かなければだめだったので、会社から私ともう一人の編集長と二人で行きまして、直接向こうで画家のアトリエを回って画家を決めて契約をして帰ってきたものです。
その時に、私としては、皆さんご存知のラチョフに依頼したいと思っておりました。おなじみの「てぶくろ」など動物をきれいに描く絵描きさんで、素晴らしい方なのでラチョフさんに頼みたいということで行ったのです。向こうのエージェンシーでは、「ラチョフさんは国民栄誉市民で悠々自適なので、あまり細かい仕事はできないから若い画家にお願いしてください」ということで、それから毎日4・5軒ずつ画家のアトリエを回りまして、比較的若いベ・ローシンという方にお願いしました。
この時はもう1編、今の教科書にはないのですが、「飛び込め」というトルストイの教材がありまして、これも一緒に頼もうということで、カリノフスキーという画家に依頼しました。当時共産圏でしたので、絵を頼むとこれだけに専念して下さるので、締め切りは1か月もいらないということで、もう一度取りに来てくださいということで、依頼したのは9月の末ぐらいのころだったと思いますが、11月初めに取りに行きました。
ベ・ローシンさんに決めて頼んだ時に、「佐藤先生の絵がとても素晴らしくて、柔らかくて、とても民話の雰囲気が伝わってくる。自分では描けないかもしれない。」とベ・ローシンさんが話していたのですが、「引き受けた以上全力でやる。」という。その時にいくつか要請がありまして、まずかぶの色は白ではなくて黄色にしたいと言われまして、私もギョッとしたのです。「えっ、何でですか?」と言ったら、「こちらではかぶは黄色いんですよ。そしてこのかぶが何であのように抜けないかというと、一番最後の場面に出てくるのですが、底の方から長い根がはっていて、それが地面にしっかり根づいているのでなかなか抜けないのです。」ということで、「そういう絵にしたい。」という話がありました。
でもそれを日本でやると、ちょっと戸惑ってしまうので、ふつうに描いていただくわけにはいかないですかと言いましたら、契約が済んで帰る時に、10個ぐらい本物を持ってきまして見せられました。表面から中も全部黄色で本当なんだなと思いました。それではこれを持って帰って、会社や著者の方々を説得しなければならないということで、それを持って帰りました。検疫のことなどもありましたが、向こうがしっかりやってくれたので、無事持って帰って、スープにして食べました。大変甘くておいしくて当時の社長や役員の人たちにも喜んでもらったのですが、「うまいけど、なんとか白にできないかな。」と言われました。それは約束できないということで進めました。
もう一つは、最初の場面でタネを蒔いている絵ですが、これはていねいに一本ずつ手で植えるように蒔いていくので、そういう絵にしたい。それから服装については、おじいさんは野良着なんだけれども、孫とおばあさんは民族衣装を着けている、そういう絵にしたいと言われまして、冒頭のところに小屋がありますけれども、あの小屋におじいさんと3人が来て、おじいさんは野良着で外に出て、孫とおばあさんは中でおじいさんの仕事が済むまで待っているのだ、だから服装はおじいさんは野良着で、孫とおばあさんは民族衣装なんだ、そういう絵にしたい、それもいいですねということで描いていただきました。そこまでは順調にいったわけで、ふつうは絵が出来たら、送ってくださいで済むのですが、これは何度も経験しておりまして、同じ時間の経過の中で、次の場面が出てきたりする時に、これだけ複雑な衣装の模様とかですと、必ず絵描きさんは、手を抜くわけではないのですが、筆のタッチの勢いで忘れてしまって、違う色を塗ったり、リボンが違ってしまったりするので、これは必ず子どもから注文が来ます。それが十分分かっていたので、もう一度取りに行って見せてもらうということで1か月後に取りに行きました。 案の定、最初の場面と次の場面とかいろいろなところで、そういう齟齬ができておりまして、「いくつか直してください」と言ったら、「一週間滞在しろ」と、「そうしたら直すから」と言われ、その間、「モスクワからレニングラードの方に行って来い、エルミタージュ美術館などを見てきたらどうか」と言われて、エルミタージュに行ってきました。戻ってきてしっかり点検して帰ってきました。
もう一人のカリノフスキーさんという人はローシンさんよりもベテランの方でしたのでほとんどそういうことはありませんでした。ヨーロッパでも何冊か絵本を出していた人なのでそういうことはありませんでしたので、絵をいただいて帰りました。絵を外国から日本に持って来るということはけっこう大変なことで、ソビエトの方では、日本に対して配慮してくれて、「この絵は教科書のために描いたものである」という公式の証明書を発行してくれました。そんなわけで、これが無事に着いたのですが、その後「おおきなかぶ」の絵が初めて教科書に出たときは、全国的に大変に話題になってしまいまして、特に採用のときには、これはおかしいとか、これはだめだろうと言われました。一人ずつに説明ができませんので、なんとか頑張って出しておりまして今に至っているということで、今はほっとしていますが、この3年間近くは質問の連続でしたので、しんどかった思いがあります。
この時に、先ほど申し上げましたように、外国のものは外国のということでスタートしましたので、この教材も同様に韓国の民話ですが、作家の方、画家の方、これは在日韓国の方ですけれども、お願いしました。日本の画家でもしっかり勉強して外国の絵であっても描けるのですが、なんとなくその国の雰囲気が、その国のことを知らないとできなくて、この場合も日本とは全然山の形が違うし、特に家の中の雰囲気というのが、その国のものでないと出ませんので、そういった方にお願いして、韓国の民話ということで、雰囲気が出て、子どもたちにもそういう受け取りができたのかなと思っております。
それから、絵本から採った作品などは、その絵本のものを活用していくということをやっておりました。例外的に許諾がおりない場合もあります。今は、スイミーというのは絵本から採用になっていますけども、始めの3年間ぐらいは、交渉したのですが、レオ・レオニさんがどうしても、日本の教科書はB5版で今の版より小さかったので、プロポーションが全部変わってしまうし、自分の意図と違うから駄目だということだったので、日本人の画家の方でしばらくやりまして、毎年のように説得をし、理解を求めまして、やっと了解が得られました。今は原画そのものを絵本と同じものが使われています。外国の物は原則的にそういった形で使っております。
次に 「くじらぐも」です。これも一年生にある教材です。これについてお話をしたいと思います。これは、私どもでは、昭和38年、広域採択になった時期から既成の教材探しだけではとても間に合わないので、改訂の時期の2年ぐらい前までに30人ぐらいの作家の方にオリジナルの原稿をお願いしております。現在もそういう形で続けているわけですが、30人に頼みましても、まず教材となるのはゼロの時もありますし、1編か2編採れればいいなというぐらいの確率です。テーマを決めることはお願いできませんので、低中高ぐらいのレベルで書いていただいておりますので、出来上がりをじっと待つしかございません。
「くじらぐも」は昭和46年ぐらいに出た教材です。中川李枝子先生がまだ保育園におられたころですが、石森延男先生から、「ぜひ中川先生に依頼をしなさい」ということで中川先生には石森先生からもお手紙がいったようで、中川先生はプレッシャーを感じて大変だったようです。一年生というのは全国で使われるわけですから全国の子どもたちにどういう内容でどんな話をしたらいいのか、明るくなければまずいだろうなとか、北から南までどんな言葉をつかったらよいのかなどと、大変なプレッシャーだったようです。これは唯一、この時代にオリジナルで書いていただいて採用されたものですが、この作品が生まれるのはそういうプレッシャーの中で、中川先生は小学校の6年間に3回ぐらい転校した経験があるそうですが、その時に一番慰められたのは、親しくなった友だちと別れるということを3度もやっていた中で、共通してホッとする時間は、どの学校にも広々とした校庭があって、そこにたたずんで空を見上げるということがとても自分としては心休まる時間だったと話されていました。それを題材に書いてみよういうことで、この作品ができたと中川先生はおっしゃっておりました。
中川先生は、保育園に勤めておられたので、子どもたちの心理をつかむことが非常に優れていると思います。しかも、あっという間にファンタジーの世界に飛び立って行ける。その構成というか、言葉づかいというか、その表現といいますか、それは非常に見事です。中川先生の作品というのは、ほんとうに、大人から見ると「何で」と思いますが、子どもにとってはそういう世界に誘なわれるのが大変に心地の良いものだと思います。
これも見事に最初の場面から、クジラの呼びかけで子どもたちがスッとのぼっていきます。そういうことに違和感もなく入っていける、これが子どもたちに人気がある証拠だと思います。そういう教材ですと、リズムも生まれるし、子どもたちも自分に同化して、読んでいけるので、これは大きな声で読んでいる。そして中川先生がおっしゃるには、子どもたちはファンタジーの世界はどんな場面でも好きなんだけれども、楽しければ楽しいほど、今度は元に戻れるかしらという不安感を抱いてしまうので、最後は元の世界に戻してやりたいということで不安をなくしてあげたいとおっしゃっています。教科書ではそういう構成になっております。
で、そういう意図に対してどんな絵がいいだろうということで検討したのですが、やはり先ほど見ていただいた柿本幸造さん、カメの絵ですね。あのような非常にソフトな、そして丁寧な仕事ぶりの画家がいいだろうということでこれは柿本さんで行こうということになりました。図書館などで、至光社の「どんくまシリーズ」というのがありますが、これも柿本さんです。この時は柿本さんからいくつか質問を受けます。この作品は一体どのくらいの学校の規模を想定しているんだろうとか、学校や町はどんなところだろうかなどと聞かれます。当時、先生は鎌倉の材木座に住んでいらしたので、鎌倉もそんなに大きな町ではないから、ちょっと小さく、海も近くて、山もあって、というイメージでどうでしょうかと。それではということで鎌倉の二つぐらいの学校を見に行きましてイメージをつくっていただきました。その後、体操しているのは分かったけれど、いったい子どもは何人空に飛ばすのか、男女はどうするのか、そういう話があって、画家は24人ぐらいにしたいという話だったのですが、この当時、学級の数も増えてくるし、1学級の数も増えてきたので、僕としては30人ぐらいにしたらどうでしょうと言ったら、それは多すぎるのではないかと言われました。これは数えていただくと分かりますが、男女16人ずついます。先生も入れて33名がこの上に乗っているわけです。これだけの子どもたちや先生が乗ってつぶれないようにするにはどのくらいのくじらだろう、そういう点も画家は探究します。30人でも大丈夫ですよと言いましたが、30人以上ですから、雲の上の子どもたちが、これだけ小さくなって、町の高さが逆に上手く出たのではないかなと思います。そんなことで、「このくじらぐも」は、中川先生と柿本さんとのコラボでできて、これは息の長い教材になっております。こういう教材を作る時は大体こんなふうな形で進めてまいります。
それから、2年生の「たんぽぽのちえ」という説明的な文章です。昭和46年から相当長きにわたって使われております。これは編集作業の仕事がスタートをする1年ぐらい前にやることなのですが、部内で編集委員会の意図を受けて題材探しをいたします。その時にミーティングの中で入社1年目の女性が、植村利夫さんの研究会に参加したときだったと思います。この方は植物学者です。この方の会合に出て、その後の集まりの雑談の中で、「人間と同じように、たんぽぽにも知恵というものがあるんだよ。」という話を聞いてきたという話を我々にして、「これは面白そうだ、是非教材にしたい。」ということがありました。我々もその時聞いて、なるほど、それはいい話だ、これはいけるねということで、植村先生と教材作りをしたらどうかということで、進めてもらった作品です。その彼女は植村先生と教材作りをしてぎりぎりまで修正を加えて完成してくれたのがこの作品です。
なぜ「たんぽぽのちえ」なのかというと、その時に彼女が話したのは、たんぽぽは一斉に花が開いて、葉よりもかなり高いところに花をきれいに咲かせますが、ある日、右の絵のように、茎が地面すれすれに寝たようになって、つぼみだけつぼんでいて、枯れたように見えるので、これは朽ちちゃったのかなと思っていたわけですが、実はそうではなくて、これはじっとあの形で休みながら養分を綿毛のところに送って、綿毛が十分に育つようにしていることと、もう一つは、その綿毛を遠くに飛ばすということで、天気が良くて、風の状態が非常に良くて、風の方向性もいい、そういう日に、すっくと立ち上がり、そして高く高く立ち上がって、一斉に開いてタネを飛ばす、そういうことがここにあるんだよということで、これを「たんぽぽのちえ」という形で表現されたわけです。これも思い切ってそういうタイトルで教材にしようということでやりました。
しかし、当時の説明的文章として、「たんぽぽのちえ」というような擬人化したことをタイトルにするのはいかがかということもあって、それは説明文とは言えないのではないかとも言われましたけれども、2年生の学習指導要領上の目的というのは、たんぽぽの一連のことを順序よく学習するということが主体なので、そこは損なっていないし、そういった科学的な目というのもきちんと押さえられているので、2年生ということを考えればこれで十分いけるのではないか、理科教材ではないので、国語ですので、国語の目的を主体にやっていくということでこれを出しました。それが今に至っているわけです。
先生方もご存知のように、最初の絵は熊田千佳慕さんで、ファーブル昆虫記などの全集の挿絵を描いた方で、図書館などで目にされると思いますが、ご本人は非常に仙人のような方で、横浜に住んでおられました。NHKでも取り上げられたりしたのでご存知の方もいると思いますが、本当に自宅の庭で地面に這いつくばって、「常田君も一緒にやろう。」と言って絵を描く人で、蟻などを這って追っていくんです。とても自然体で、ていねいな絵を描いていました。しかし、版形が変わるたびに教科書では、レイアウトが変わったりしますので、千佳慕先生をずっと使いたかったのですが、亡くなってしまったりして、できなかったことが残念です。今はややイラストっぽい、ちょっと硬いなという気がしますが、正確性をむしろ重視しているのかなと思います。これはちなみに、これは西洋たんぽぽではなく、日本たんぽぽです。西洋たんぽぽはもともと大きくなってしまって、ほっといてもどんどん繁殖してしまいます。日本たんぽぽの話であります。
それからこれもお話しておかなければならないと思います。2年生の「スーホの白い馬」ですが、最初に教科書に取りあげたものは福音館から出ました『子どもの友』という薄い冊子からでございます。これは、作者名もなければいきなりタイトル「白い馬」で、スーホの物語から入っておりましたので、2年生には非常にふさわしかったなという気がします。絵の方も赤羽末吉さんが描いておられました。そのあと、教科書に載ってから福音館でモンゴルの民話を大塚さんが再話をするということでハードカバーの本が出ました。私の方では最初のものを使いたいということで何年かやっていましたが、一方で、この本が手に入るものでないので、原典を変えてくれという話があって、再話に替えました。現在の「スーホの白い馬」は馬頭琴の由来話が冒頭に入っていて、それから物語が展開していく。最後に馬頭琴の由来の話に戻すという構成になっていて、ちょっとむずかしいかなという気がしますが、教科書も赤羽先生に描いていただきました。現在のものは、赤羽先生はすでに亡くなられてしまい、新たにその国の画家にということで描いてもらいました。モンゴルに長く住んでいたという方で、現在は、北京の雍和宮の日本で言えば学芸員のような仕事をやっている方です。これは赤羽先生と全然違ったモンゴルになっていくのかなと思いましたが、由来話だとしたら、これもいいのかなと思いました。
ちょっと余談ですが、赤羽先生は、私が最初にお願いに行った頃は、まだ絵描きとしては独立しておりませんでして、アメリカ大使館の広報部長をされておりましたので、私も初めてアメリカ大使館に行ってきました。中をちょっと見せていただきましたが驚きました。なんでこういうお仕事されているんですかとお聞きしましたら、赤羽先生は大連の方に長くいて放送局で広報の仕事をされていたそうです。私どもの著者の八木橋雄二さんと、放送局の仕事で一緒したそうです。放送局では森繁久弥さんがアナウンサーをしていたそうです。この3人はよく会っていたそうです。私もそのお仲間に紹介されてお目にかかったことがあります。その後赤羽先生は独立されて、すさまじい勢いでお仕事をされていました。本来、ご存命でしたら、教科書とはいえ一つの文化遺産だと思うのでずっと赤羽先生にお願いして載せたかったのですが、それはかなわなかったので、変更したということであります。現在はちょっと大人っぽい絵ですが、なかなかきれいな絵です。これはこれでしっかりした絵だなと思います。
「白いぼうし」の絵のことです。これはあまんきみこさんの作品ですが、「車の色は空の色」の中のものです。昭和46年頃に、教科書に登場したのですが、当時はファンタスチックなものは学校では非常に嫌われていました。扱いにくくて困る、しかも、これは4年生だ。1・2年生なら良いが4年生になったら非常に扱いにくいのだと言われましたが「車の色は空の色」の方は、北田卓史さんという画家でしたが、教科書はなんとしてもいわさきちひろさんにお願いしようということで、昭和46年の時に描いていただきました。非常にすばらしいので、ずっと使いたいと思っていたのですが、何度か版を重ねる間に、そこに、いろいろなところで話題になったりしました。先生方や学習者からだと思うのですが、「季節を明示してほしいなあ」ということがありまして、「今日は6月のはじめ」というフレーズが入ってきました。それから「夏がいきなり始まったように暑い日です。松井さんもお客も白いワイシャツのそでをたくしあげていました」というのが入ってきました。季節感がより明確になって物語としては締まってきたのですが、実は大変違う問題が起きてしまいました。いわさきさんのこの絵を見ていただくと、松井さんはワイシャツではないのですね。上着を着ているのです。それで、私も、ファンタスチックな絵でもあり、いわさきさんの絵をずっと子どもたちに触れさせておきたいと思って、クレームが来たりしたのですが、十分理解できると掲載を続けておりました。とうとう学んだ子どもたちから、あまんさんの方にも、我々の方にも「おかしい」という注文がまいりまして、弱ったなあという思いをしました。この時には、いわさきさんはいらっしゃらなかったので、残念ながら描き換えができなかったのです。今は、別な方でやっております。
今のものですが、ご覧のようにタッチもすべて違う現代風の絵ですね。むしろ作品からいろいろな想像を豊かにしてもらおうという趣旨の挿絵になっております。でも、いわさきさんの絵は捨てがたいというご意見は今でもあります。
今では、おかげさまで、ファンタジーの作品であっても、指導者の方も抵抗があまりなくなって、とてもいい教材だということで、ご評価いただいているのでよかったなあと思っています。一斉に今は各社ともかなり豊かなファンタジーが載ってきているので、これはいいなあと思っております。
今、あまんさんのことが出たので、あまんさんについて申し上げておきたいのは、実はこの「ちいちゃんのかげげおくり」です。先生方は影送りという言葉は、遊びの中でご経験がおありだと思います。あまんさんも子どもの頃に、この影送りと言う遊びを楽しくやったのだそうです。そういう幼児体験の中で、この作品が生まれたわけですが、当初、あまんさんの構想の中では、「なみ」さんというおばあさんがいて、なみちゃんがとても楽しく影送りをして遊んだというのがあって、なみちゃんの子ども(むすめ)にちいちゃんを想定し、そのちいちゃんのむすめに、せいこちゃんというむすめを登場させるということで、当初は幼児体験された影送りをテーマに三部作にするというおつもりだったようです。「ちいちゃんのかげおくり」を書いている間に、これは戦争中の物語ですので、このちいちゃんも天国に召されてしまうという結末になってしまったので、最初に思っていた三部作という構想をあまんさんは断念したというお話を何度か伝え聞いております。これは悲しいお話ですけれども、前後にそんなふうな影送りについて、あまんさんの思いがあったということを聞いておりますので、先生方もそんな機会があれば、あまんさんに直接きいていただいてけっこうですし、機会があればそんな話をしていただければというふうに思っております。
次は「ごんぎつね」です。これは今や教科書全社が載せております。それぞれ絵が違います。どれがいいかどれがわるいかと言うつもりはございません。各社の意図によって違いますので、それはそれでいいことだと思います。又、この作品はとてもすばらしい描写文なので、教材化したら絵はいらないのではないかと思っています。ほんとうは。したがって、できるだけ絵というのはシンプルで、文章に沿ってイメージがわくわけですので、子どもたちにあまり固定したイメージにならないようにするにはどうすればよいかということをかなり議論を経まして、この場合は、初めて挿絵をやるかすや昌宏さんに頼んで、それも切り絵の手法でやってもらおうという話にしました。
かすやさんも、クレパスで描いたり、水彩で描いたりして、きれいな絵本を作っておられましたが、挿絵というお仕事を初めてされるということで、「是非ごんぎつねについて自分なりに研究させてほしい」ということで、いろいろなところに出かけて行ってくださいました。実際に名古屋の方にも行って、新美南吉の記念館その他を見て、実際に河原なども見てきたという研究熱心な方で、ぼくらの提案に対して、切り絵でやってできるだけシンプルにしようという話になりまして、これがその出来上がった作品です。
切り絵というと、この場面を見ていただくとお分かりになるように、ふつうは背景がカラフルで、手前にくるごんぎつねは真っ黒な状態になってしまいます。普通はそうなるわけですが、そういうものを何とか普通の絵のような感じで切り絵という手法でできないのかということで、かすやさんと打合せを重ねました。どんなふうに作品を作るのか、これを言葉で説明するのは難しいのですが、一番手前のごんと網を張っている兵十とこれが二番目で、空と遠景になっているのが3番目ということで、教科書の2倍ぐらいの大きさの和紙に原画を一枚描きます。1番手前に前景を描いて、2番目を描いて、3番目を描いて、三枚並べておく。それを上から間接照明を与えて一番手前から撮影する、そういう手法でやりました。したがって、これは原画がなく、フィルムだけです。この撮影が済んだら、もうその原画をとっておいても意味がないというか、もう波打ってしまったり、縮んでしまったりして使い物にならないのです。その場限りなのです。
これを全部で9枚作るので、私も手伝ったのですが、二日がかり、徹夜で、休んでいる暇はないので、できたら撮影、できたら撮影というやり方をやっていったのです。大変な思いをしたことがあって、出来上がった時には二人で倒れ込んでしまいました。かすやさんの家でやりましたので、大変だった思い出が残っています。それがこのようにきれいになって後ろまで3枚重なるのですが、ふつうの絵のような手法ができましたが、全部こんなことをやっていたら、絵描きさん、一枚作るのにこれだけやっていて何十万もらえるのならいいでしょうけれども、それは無理なので中々この手法は大変です。教科書でかすやさんがやられて、新しい試みとしてやられたのは、これが最初です。
この絵はかすやさんの一番のお気に入りなのですが、「それは何でですか」とお聞きしましたら、今まででしたら、ごんは一番手前の方にいて、加助と兵十の話を聞いている場面なのですが、この場面だけは、ごんも暗闇の中に入っていて、兵十と加助とそれから背景の状況とが一体化している、同じ空気感の中にいる、それを表現したかったという、これ一枚だけが違った雰囲気のものになっていますが、それ以外は切り絵なの手法が生きた形になっております。ちなみにこれは、私どもの場合だとごんの立場から文章を読み取っていくための手掛かりとして、挿絵は兵十の視点ではなく、ごんの視点から描かれています。
この最後のシーンとちょっと前のシーンのところは、兵十とごんのやり取りというのは、映画で言うと、文章を読んでいくと、お分かりのように、カットバックのように表現されています。そして、最後の場面をどのように描くかということも、かなり時間をかけた論争になりましたが、最終的にこのように象徴的にしたものにして、鉄砲の筒から一本の煙が出ているというふうなものになっています。これ4年生に理解できるかなという話になったのですが、そんな心配はなくて、十分子どもたちにはごんの気持ち、兵十の気持ち、そういったことが読み取れるお話になったのではないかなと思います、
そしてもう一点、かすやさんと教材作りをやったわけですが、これも実は影絵の手法です。したがって、これも原画はございません。これは、いまだに使われている教材ですが、難解なことは難解です。教え込もうとすると、めちゃくちゃ難しいだろうなと思います。しかし、5月と12月の情景というものを対比しながらイメージしてもらうと、学習者の子どもたちは十分理解がいくようです。この絵の中では、なしやカニというのは一つも出てきませんけれども、この挿し絵には非常に豊かな表現があると思います。文章を邪魔しないで、かつ、これだけの表現ができているのも、いいかなと、何か心に残ってもらえる教材になっていくのかなというふうには思います。2色でできるのですが、かすやさんの要望でぜひ4色でいきたいと言われました。私の立場から言うと、制作上は4色ですので、コストは非常に高くついてくるわけです。だけれども、非常に透明感のある深いブルーの色が出るということで、4色を使っております。
これもかすやさんというのは熱心で、「はい、分かりました、すぐに…」という形では受けませんで、じっくり教材を読んで、宮沢賢治が一体どんな時にこの作品をということまで調べてきて、イメージを作るという方でしたので、これはこれで実は大変です。いろんなやり取りをしながらやらなければならない方だったので…。それでもこの教材もかなり長期になってきております。まあ、こんなふうに教材を作っております。
時間的にはかなり押してきましたので、もう一つぐらいかなと思いますが、これは今でも使われている5年生の教材です。さっきの「やまなし」は6年生です。5年生の教材で、杉みき子さんが書下ろして書いてくださったものですが、これは、杉さんがどうしても書きたかった作品の一つです。ご本人がそうおっしゃってるのですが、自分としては童話を書くときに、特に昔のことを書くときに、かねてからいっぺんやりたいことがあるということを言っておられました。それは、杉さんは推理作家のアガサ・クリスティーが大好きで、ほとんど読んでおられて、こういう作品の中で推理小説の手法というものを活かせないかというふうにいつも思っていたのです。そこで、この「わらぐつの中の神様」という作品を書くに当たって、それを一回やりたいなあということで作られたというお話をされていました。
最初の場面は、おみつばあさんがお母さん(むすめさん)の話を孫に話をしている場面です。これはこの物語で言えば、現実の世界です。そこでおばあさんが世の中にはこんな神様もいるのだよというお話を語っているわけです。その話がずっとつながっていって、おみつさんが野菜を売っていたのですが、自分でもわらぐつを作りたいと、それを売りに行く途中のショーウインドーで見た赤い下駄がどうしてもきれいで諦めきれない。それでわらぐつを作って何とか買いたいと思っていたけれども、所詮、自分が作ったわらぐつは不細工なので、なかなか売り物にならない。ある日、若い大工さんがそのわらぐつを買ってくれて、翌日も、あくる日も、その次の日も買ってくれて、うれしかったという話が物語です。
最後のところで、絵が冒頭の絵と呼応する形になるわけですが、戸棚にしまっておいた赤いきれいな下駄を箱のまんま出してきて見せるのです、お孫さんに。お孫さんは気が付いたとは思うのですが、今の物語はひょっとしたらおばあさんの話かな、おじいちゃんの話かなと気が付くんだけれども、お母さんが助けを差し伸べて、「今のおばあちゃんの名前はなんていうの?」と聞きます。「山田みつ」というのを聞いて、「あ、これはおばあちゃんとおじいちゃんの話だ」と分かるという構成なのです。全員が作家になるわけではないから、子どもにとってはそんなことはどうでもいいことだったのですが、そういうことに気がついてくれれば何かを表現をする時に役立つのかなというようなことも杉さんとしては願いがあったようです。
これは、多くの学校で、授業で取り上げられていて、私も授業を何度か見たことがありますが、今の子はそういう面では先走って早く結論を読んでしまうので、余韻がなくなってしまって、もうちょっと違う教材が必要なのかなと今は、感じております。
こういう話をしていると、ほとんどの教材に関わってきたので、ほかの教材にもいろいろあるのですが、同じような話を長くしてもしょうがないのでこの辺で具体的なところは終わりにしたいと思います。そのほかに、読書について今の教科書ではどれくらい紹介しているかというと、年間で406冊ほど紹介しております。要旨とちょっとした解説になっていると思いますが、これは、全国の都道府県立図書館の推薦図書というものを集めて、それを集計して、上位の本をできるだけ取り上げていこうという視点があります。
それから、教材との関連の本も入れなければなりませんので、そういうものも入れました。それから巻末に図書リストを紹介するというのは当たり前のことですが、何よりも絶版になってしまっているものは原則的に取り上げないようにしようというふうにしております。こんなふうに教科書は考えて作っております。
大体、以上、私が関係してきた仕事の中で扱った教材はこんなところでございます。大変拙い話ですけれどもこの辺で終わりにさせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
監 修 常田 寛
2015-10-23 平成26年度日本学校図書館学会講演
演 題 「子どもの読書・学習活動を支える学校図書館の協力体制づくり」
文部科学省「学校図書館担当職員の役割・職務等に関する報告」を中心に
講 師 昭和女子大学人間社会学部特任教授 大 串 夏 身 先生
日 時 平成26年5月24日(土)
只今ご紹介いただきました大串でございます。よろしくお願いいたします。
■はじめに
今年の3月に文部科学省が「これからの学校図書館担当職員に求められる役割・職務及び資質能力の向上方策等について」の報告をまとめて発表いたしました。
今日お話するのは、私もこの協力者会議に参加したこともありまして、一つは今後の学校図書館の体制は、いわゆる学校司書を配置して、今もう、半分ぐらいの学校は配置しています。その学校司書に、今まで以上の役割を果たしてもらうことを志向しながら、今まで以上に学校図書館の充実を図りたいという文部科学省のねらいです。学校司書の入った今後の学校図書館の体制をどうしたらよいのかといことと、もう一つは学校司書が入った今後のことです。
■報告書のねらい
これは大きく分けると3点あります。一つは学校司書の職務内容を明らかにすること、今後学校司書を専門職として各学校に配置するということ、今回の報告書はこういう流れの中で必然性のようなことを話したい。二つめは今回の報告書の内容と特に学校司書と学校司書を組み込んだ形での学校図書館の協力体制の在り方、三つ目はまとめとして今後のことについて少しお話します。
今回の報告書は、専門職としての学校司書という表現はしていません。これはどうしてかというと、文部科学省としては、様々な呼称があるものを、学校司書という公的な資格に直結するような表現は避けたいということでございます。今はどうなっているかと言いますと、6月の国会で議員連盟を中心に各党統一して協力して提案をいたしまして、そこで可決するというような流れで動いているようでございます。それが可決された時には、公的な資格としての学校司書についての制度的なシステムを整える。それから、重要なことですが、養成カリキュラムを実際にどういう形で作るのか、また具体的にどういう形で養成するかという形で今進んでいるようでございます。
そういうことに携わっている肥田さんにお会いしましたら、肥田さんは、「大串先生、国会で可決したらどうしたらいいのですか」と聞いてきました。僕に聞くことではないのではないとは思いながら、それは今までの例ですと、可決されれば、文部科学省内の法規委員会が原案を作って、有識者を交えて進めることになります。そして実際に法改正等を行って行政審議会で審議するという形になっていくというお話をいただきました。
■協力者会議設置の趣旨
今日はそこまではいきませんで、今回の報告とそれぞれの内容をお示ししたいと思います。実は2月15日、この大学の別館で、文部科学省の内藤児童生徒課長をお招きして、私どもの学会でご報告いただいて情報をいただきました。この時、内藤課長が配布された資料は、第7回の協力者会議に提出した「たたき台」に使われた資料をそのままお出しになった。これは異例のことで、これは私どもの学会に対する信頼ということと期待されることが大きいのだなと思いました。
まず協力者会議の設置の趣旨でございます。これは児童生徒課の春山課長補佐さんが次の3点を示されました。一点目は、学校図書館担当職員の役割と業務内容(職務内容)を明らかにしていただきたいこと。二点目は、学校図書館担当職員の質の向上を図るための方策について明らかにしてほしいこと。三点目は、学校図書館担当職員は法的な根拠を持っていない。したがって今回の報告書でその役割(職務内容)について、一定の関係者(国民)の共通理解のベースを作ることに資するような内容の報告書を作りたいということでございました。その裏には、今度の6月に国会で学校図書館法の改正を行い、学校司書という用語を入れた条文の学校図書館法を作りたいということでした。そこでこの法律の趣旨を関係議員さんに説明をしますと質問が出る、学校司書はどんな仕事をするのかという質問が出ます。それに対して今回の報告書をベースにしながら、説明ができるようにしたいということでございました。
実は私が協力者会議に呼ばれまして、会議には十数人おりましたが、学識経験者としては私と筑波大の平久江先生と青山学院の堀川先生が呼ばれ、堀川先生が座長になりました。それ以外には、現場で実際に学校図書館で仕事をされている方、司書教諭の方々と校長先生、教育委員会の方がおりましたが、学識経験者としての専門職として反映させたい。私の場合は公共図書館で司書を20年間やりましたので、そうした経験を反映させたりして、特に私に言われたことは、専門職としての学校司書と公共図書館の司書の違い、それぞれの仕事の条件を考えてもらいたいということでもございました。
この会議には他にも現場で働いている方々はいろいろな方々が呼ばれました。つまり正規の方々や嘱託の方々と、小学校中学校等々学校などそれぞれの方々が呼ばれておりました。結局文部科学省としては実態を把握しておきたいということだったと思います。
■調査研究にいたる経過
次に調査にいたる経過ということについてお話を進めたいと思います。一つは図書館をめぐる国際的な動向についてですが、これは1980年代に人間の成長に関する医学的・心理学的な知見がいろいろ明らかになったことです。ここでは0歳児から3歳児までは人間の成長にとって非常に重要な時期があると言われ、できるだけ親の手で育てたいということでございます。行政的に見ますとヨーロッパ辺りでは、育児休業が盛んです。それからパリでは、できるだけ家庭の環境に近いもので育てたいということで、集団保育ではなくて、日本でやっているような保育ママさん、今までソ連という国がありましたが、集団保育をやめる方向で進んでいました。読書の利用についてはそういったことの反映で、1992年にイギリスのブックスタートが始まりますけれども、親が子どもに文字は分からなくても、本を読み聞かせる。それで、コミュニケーションをとること、こういうことが人間の成長の基礎形成に役に立つという考え方が明らかになってきました。
こういった考え方は、文化審議会が平成16年に、「これからの時代に求められる国語力」と言う方針を出されましたが、この中で、0歳児から3歳児では、非常に脳の発達には心理学的な見地から見て人間にとって非常に重要な時期であるとされています。それから4歳から12・3歳までは、脳の成長という点から見ますと知識を直線的に求める時代です。12・3歳から18歳は、知識と共に論理的な思考を求めます。だからそれぞれの時期にふさわしい読書を行う環境を整えていくことが求められています。例えば理科の先生は理科について子どもたちに理科の面白さを語ってほしいですね。
特に小学校の高学年ではいろいろな知識を欲しがる時です。1990年代ではコンピュータ情報ネットワークの基盤が整備された時代でして、情報が満ちあふれる社会がきました。そういった社会の中で生きる人々の育成、ここではそれが重要ということで、教育改革ということが考えられています。
■学校図書館をめぐる様々な働きかけ
それから2000年代に入りますと、教育の現場では教育の情報化の進展、特に情報リテラシー、内容の豊富さが考えられています。国内的にはどうかといいますと、1995年に国際子ども図書館設立推進議員連盟というものが結成されます。これ以降、もっぱら読書の振興については、議員連盟の方々を中心として進められることになります。2000年には国際子ども図書館が開館いたしまして、この年に子ども読書年をしました。この読書年を梃子にいたしまして2001年に子どもの読書活動の推進にかかわる基本計画ができました。この辺のことは皆様方ご存知のことと思います。それから2008年に学習指導要領の改訂があり、特に言語活動の充実などが取り上げられています。
もう一つ議員連盟の動きとしては、2005年、文字・活字文化新興法を作りました。この時、実は学校図書館については、全ての学校または学校図書館には司書教諭を必ず置くことが求められました。ですから11学級のような小さな学校にも司書教諭を必ず置く、それから学校司書の配置を行う、こういう原案が作成されたようでございます。それから公共図書館の方にも全ての市町村に図書館を必ず置く、司書を必ずそれぞれの図書館に置く、こういう内容で提案されました。これには、当時の地方六団体から規制緩和の時代にどうして規制を強化するような法案を作るのだということで、かなり激しく抵抗した部分もあったようでございまして、結局それは見送りになりました。
それで、議員連盟は敗者復活を行おうということで、2005年の法が成立した翌年に、2006年の4月11日に、文字・活字文化振興法シンポジウムを行いました。ここで、議員連盟としては文字・活字文化振興法の施行に伴う施策の展開というものを考えました。これはお手元のレジュメのところに書いておきましたが、3項目あります。
1は条文としては振興法の第7条、「地域における文字・活字文化の振興」、この中身は、公共図書館の充実です。2番目は、学校教育に関する施策、これは第8条です。ところが、そこに書いてありますように、読書指導の充実、読書の時間の確保による言葉力の教育支援、教員養成課程への「図書館科」または「読書科」などの導入による教員の資質の向上、学校図書館の図書標準の達成、学校図書館図書整備費の交付税措置の充実・予算化、小規模校(12学級未満)への司書教諭の配置、学校図書館に関する業務を担当する職員の配置の推進、司書教諭の担当授業の軽減・専任化などの推進、高等学校の図書館の充実、盲ろう養護学校の読書環境の整備、新聞を使った教育活動の充実、読み書き活動の基盤である国語教育の充実・より豊かな日本語の教育支援、そのような内容で、それから学校図書館支援センターによる学校間、公共図書館との連携・推進、IT化の推進による学校図書館・公共図書館と国際子ども図書館等のネットワーク化の推進、こういうことを具体的に実現したいという項目を掲げて、こういうことを実現するのだということで、議員連盟の人たちは方々に働きかけをいたします。
それから3番目は出版活動への支援、文字・活字に関わる著作物の再販制度の見直しなどの内容です。実はこの時に、議員連盟の方々の微妙な話がありまして、官僚の屋上屋論の抵抗に遭いました。どういうことかと言いますと、文字・活字文化振興法を作る過程で、議員連盟の方々が法律を作るお役人の方々に説明した時に官僚の上の方々から屋上屋論を出されました。学校図書館法があるのに、何で屋上屋を重ねるような法律を作るのかと言われたというのです。実はそういった人たちを説得してやっと国会に上程するような法律要綱案を作り上げました。
そこへ関係団体を呼びました。学校の方では学校図書館協議会が呼ばれて意見を述べて、そこで、ある言葉を受けまして、学校図書館の方は順次施策の実現を積極的に図ると言われました。施策の中で取り上げられるということはどういうことかと申しますと、例えば学校図書館の司書教諭の専任化、これは法律ができた翌年か翌々年に千人の学校司書の専任化の予算措置を行いました。これは残念ながら認められませんでした。
■地方交付税措置の充実
それから地方交付税措置の充実が図られました。それから新聞を使った教育活動の充実、これは地方交付税の措置で実現しました。学校図書館に関する業務を担当する職員配置の推進、これも今実現しつつあります。地方交付税で措置をしました。学校図書館では、授業で使う図書を国際子ども図書館の設置要綱にしました。そういったことを順次実現するように働きかけをしてきたわけです。
ところが残念ながら公共図書館の方はまったく考えられなかった。実はここだけの話ですが、その会議に出席された方のお話ですが、学校図書館の方はもろ手を挙げて賛成した。ところが公共図書館の方のかたは、なぜ図書館法があるのにこういう法律を作るのだと言ったと言うのです。つまり、官僚の方々が屋上屋論を言ったのを何とか説得して国会に提出するまでにこぎつけたのに、関係団体の方がお役人と同じことを言ったというのです。学校図書館と公立図書館のその後は命運が分れたのです。ですから何とか公共図書館の方も施策をできるようにしなければいけないのです。
■教育の情報化と生徒の情報リテラシーの育成
その次に、「教育の情報化と生徒の情報リテラシーの育成」です。これは2009年のPISAの調査でデジタル読解調査が行われました。そこで、例えば、「普段の1週間のうち、国語・数学・理科において、コンピュータを使っている生徒の割合、つまりコンピュータを使った授業を受けている生徒の割合は、国語は日本は1.0%、OECD(17か国・地域)の平均は26.0%、数学は日本1.3%、OECD平均では15.8%、理科は、日本1.6%、OECD平均は24.6%、こういう結果が出ております。それから「マルチメディア作品の作成」では、「自分で上手に出来る」「誰かに手伝ってもらえば出来る」と回答した生徒の割合は、17か国中最下位であります。それから表計算を使ったグラフの作成は、17か国中12位でございます。これを見た文部科学省は大急ぎで、教育の情報化の実現のために、いくつかの教育の情報化ビジョンといったものを、もっと進めたいということであります。これは生徒の情報リテラシーの育成ということに深く関わっています。図書館とも関わっています。
■財政措置
財政措置では、1993年(平成5年)に、学校図書館図書標準を設定しまして、学校図書館図書整備5か年計画を開始しました。最初は5か年で総額500億円でした。2012年からの第4次5か年計画で総額1千億。それから2012年の措置で学校図書館への新聞配置、これは15億円、総額75億円。その時に学校図書館担当職員(いわゆる学校司書)を配置するということで単年度150億円を計上しました。この150億円については、聞いたところによりますと、文部科学省はもっと少ない額を要求いたしました。地方交付税の担当である総務省では、そんな少ない数でいいんですかということを聞いていただいて、それで150億円にしていただけたということでございます。この数字は、年間週3時間、全ての学校に学校司書を配置してほしいという当時の総務省の大臣の気持もあったようでございます。
■新聞閲覧時間遅現状
それからコメントとしてそこに書いておきました。新聞閲覧時間の推移というのがあります。出典はそこにありますように、東大の橋元先生の『ジャーナリズム』という所に載せた論文の中にありました。2012年に、橋元さんと総務省が共同調査を行いました。これ以外にはNHKの生活時間調査もありますが、橋元さんと総務省の調査によりますと、これはちょっと信じられない数字なのですが、これについて橋元さんは限りなくゼロに近いという言い方をしますが、新聞を読む時間について、2012年には10代は1.7分、1.7分ということは例えばこの会場の中でどなたが30分、40分読めば、他の人はほとんど読んでないという数値に近いわけです。40代は2.4分、新聞を読むことはちゃんと読むということを学校教育の中でやるべきだと、学校だけでなく、大学生もそうです。1990年代を通してNHKの生活時間調査によりますと、本を読むということは時間数が大幅にダウンする。ただし、2000年を境にしてNHKはこういう調査をやめました。どうしてかというと、若い人の意識として、本を読むことは、活字を読むことが崩れてきまして、つまり携帯小説を読むことも本を読むことの中に入る。そうかなと思いますが、雑誌を読むことも本を読むことに入る。本の形のもの、例えばマンガを読むことも読むことに入る。逆に言うと印刷した本は読まないが、マンガはしっかり読んでいるということです。
■学校司書という用語
学校司書という用語、これが公式文書の中でどう扱われているかということですが、一つこれからの学校図書館の在り方がありますが、子どもの読書サポーター会議の平成21年の報告書の中にカッコ付きで学校司書と書いてあります。「学校司書は非常に需要な役割を果たすものです。これから学校司書を配置していく。専門性を求められる大きな役割を持っていることは少なくない」という表現でまとめています。
それから「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」の2013年の中には、今度は項目として「学校図書館担当職員いわゆる学校司書の配置」という形で出されました。しかもカッコが外れました。ということは、今度の会議の中でもいろいろ議論がありましたが、文部科学省としては、公的な資格としての学校司書を認めているのではないかということが出ましたが、いずれにせよこういう形進んできて、では学校司書の職務内容は何ですか、学校司書はどういう仕事をする人たちなのですか、ということを明確にしなければならないという段階に入ったのです。そこで協力者会議が開かれて報告書がまとめられて3月の末に出されました。その報告書の内容は、目次を見ますと、1学校図書館の位置付けと機能、2学校図書館の利活用の意義、3学校図書館担当職員に求められる役割と職務、等々という内容でございます。
■学校教育全般を支える学校図書館
さらにこれは報告書に付けた文書で新しい提案を行いました。それは、学校図書館担当職員に求められる役割と職務ということで、学校図書館の利活用の意義のところですでに書いてあったわけですが、読書センター、学習センター、情報センター、この三つを置くことにいたしました。これは、我々学識の3名が、文部科学省の事務局と3回話し合いをいたしまして、やっぱりこれで行こうということにいたしました。詳しい話はあとでいたします。それからあともう一つ非常に重要なところですが、「これらの役割を踏まえ、各教科等の指導に関する支援など教育指導等の支援に関する職務を担うことが求められている。」つまり学校司書というのは、単に公共図書館における司書のようなことだけではなくて、学校図書館という専門の図書館の専門職である。そこでは教育活動には関わらない、こういうことでございます。各教科と指導には関わらない、と言うことでございまして、その内容については後で詳しくお話します。
そうしたことに基づいて学校図書館担当職員に求められる役割職務の向上方策ということであります。
学校においては、校長を中心とした、校長先生のリーダーシップに期待したい、教員の研修は教育委員会の責任に期待したい、それとともに、学校司書を置くか、学校図書館の運営とか学校の教育活動で様々な協力をしていかなければならない、こういう内容であります。
次は、三つのセンターがそれぞれ具体的にどんな活動をして、そういうことを通して確かな学力をつけるのかというイメージ図を入れておきました。学校図書館担当職員の職務には、一つは間接的支援に関する職務、これは図書の資料の収集とか整理とか配架とか施設設備の管理とか学校図書館の運営に関わることとか、日常の奉仕に関わったり、司書教諭の指示に従いながらということになります。それから二つめは直接的支援に関する職務では、子どもたちから相談を受けて、調べ方とかいろいろなこと、情報サービスもあります。それから読書活動の充実に関する職務、このあたりまでは普通のことですが、議論になったのは3番の教育指導への支援に関する職務です。教科等の指導に関する支援、特別活動の指導に関する支援、情報活用能力の育成に関する支援、これについてはもう少し詳しく見ていきたいと思います。協力者会議がこの報告書をまとめたのですが、この報告書をまとめるに当たっていろいろ議論をいたしました。
一つはこの三つのセンターについてです。これがどうなのかということです。私どもとしては、現状にとどまるのではなくて、これから新しい社会が来る、5年10年20年先を見通したような視点が必要である。そうした場合、これからは学習センターと情報センターはそれぞれ独立したものとして考える必要があるだろう。特に情報センターです。今後情報リテラシーの向上という点では、もっと内容的に豊かなものであるということです。
その時に参考にさせていただいたのが、2010年にアメリカのスクールライブラリアン協会の学校図書館メディアプログラムでした。これを参考にさせていただいて、例えば一般的な技術については、デジタルリテラシー、ビジュアルリテラシー、テキストリテラシー。テクノロジーリテラシー、こういう4つのリテラシーが考えられていまして、これからの子どもたちには必要なことだと言われています。
デジタルリテラシーとは、デジタル技術を使いながら情報を見つけ判断する力、ビジュアルリテラシーは、イメージの見地から自ら学び表現する能力を高め、イメージを利用し理解するための能力、テキストリテラシーは文学など専門的文章を読み、書き、分析し且つ評価するための能力、最後のテクノロジーリテラシーは、21世紀の○○や生涯にわたる知識を獲得したり、全ての情報に関して管理し、結びつけ、評価し、創り出したり答えたり、問題を解決したりするために、責任を持って適切にテクノロジーを利用する能力といわれています。
これらは具体的にどうなるのだろうと思います。技術的に分かりません。デジタルやビジュアルリテラシーなら分かりますが。もう一つコミュニケーションリテラシーもあります。
■学校司書の専門性
それから「専門性」の内容です。これらの議論の中では、教育指導への支援、イメージ図の一番上ですが、これを入れるかどうか議論しました。やはり、今までの現場の考え方ですと、これは司書教諭の仕事です。そこになぜ学校司書が必要なのかというニュアンスの話もありました。そこで私どもとしては、一つは読書センター、これは従来から言われていることです。学習センターという考え方ですが、これは、調べ学習などで積極的に学校図書館を使うことになるだろうということで、学校図書館担当職員にそういったことに関わる、最後のところにありますが、「ティームティーチングの一員として、あくまで教員の主導で行う学校図書館を活用した授業において、児童生徒に指導的に関わりながら学習を支援することも求められる」教諭や司書教諭の指揮の下で関わる。それからもう一つは、児童生徒が自ら学ぶということで、学びの場としても、学習センターを活用してなおかつ図書館に人がいる、相談ができる、いつでも相談してアドバイスを受けることができるというような場にしたいということです。
それから情報センターというのは、情報リテラシーの能力の指導のためにいろいろなことが考えられて、学校司書の方が積極的に関わりながらいろいろな機材をそろえたり、授業の中でも先生方にもアドバイスをしたりする。そういった内容が示されています。
具体的に、最後の、教育目標を達成するための「教育指導への支援」に関する職務として、一つは教科等の指導に関する支援、二つめは、特別活動の指導に関する支援、三つ目は情報活用能力の育成に関する支援、先生方が行う指導について、学校図書館担当職員としていろいろと資料を提供したり、授業に参加して、生徒の指導に参加したりいろいろします。
■学校司書の役割
先ずは授業のねらいに沿った図書館資料の紹介・準備・提供など3点ありますが、学校図書館を活用した授業を行う司書教諭や教員との打ち合わせ、こういったこともある。それから学校図書館を活用した授業への参加、辞書の引き方、目次・索引の利用法、日本十進分類法(NDC)等の図書館資料の活用の仕方についての説明などをします。
日本十進分類法のことを考えると胸が痛みます。実は大学生に、高校で日本十進分類法について先生から説明を受けて聞いたことがあるかと聞いたら、図書館の司書課程を受けている学生には毎年聞くのですが、大体2割から3割です。一般学生となると、30人中1人でした。さっそく図書館に連れて行っていろいろ教えました。それから私は附属中高の教育課程の責任者ですが、カリキュラムが改訂になりまして、調べ学習など、いわゆる総合演習というのが出てきます。教員になりたいという学生が80人ほどいますが、そこで聞いてみると2割ぐらい。あとの8割は図書館に連れて行ってこれがそうだよと教えることになります。
今の司書教諭の方々からも異論がありました。司書教諭は仕事を奪われるのではないかと心配している人もいるようですが、そうではなくて、実は文部科学省としては、私は参加しなかったが、そういったことについてちゃんと話し合いをして、合意してやっています。ですから、特に司書教諭の先生方は、もっと教育内容に深く関わる活動にシフトしていただきたいというのが私どもの気持でございます。学校司書は、専門の学校図書館の職務を担う人たちだから、やはり公共図書館の司書とは違います。養成課程でもきちんとした教育を行うということが重要ですので申し上げました。
■学校司書配置の効果
学校図書館担当職員を置くことの効果についてですが、学校司書あるいは学校図書館担当職員がいるということで、はたして教育的効果があるのかどうか。やはり、効果があるということであれば、財政の方も積極的に予算をつけましょうと言うことになります。この辺が今後の課題でございます。報告書の最後のところに統計がございます。学校図書館担当職員の事例と、平成25年度全国学力学習状況調査の結果から見た学校図書館担当職員の配置の効果が3点に亘って、それぞれ小中について述べています。一つは学校図書館担当職員を置いている学校は、学校図書館を活用した授業を行っている頻度が高いこと。二つめは学校図書館担当職員を置いている学校は、児童が地域の図書館に行く頻度が高いこと。三つめは学校図書館担当職員を置いている学校は児童の読書量が多いこと、この三つなのです。
それから学校司書という呼称について、文部科学省の方で、間に合わないので今回は使いません。大きな流れとしては、学校司書の方向に向かっています。それから、子どもの読書・学習活動を支える学校図書館の協力体制、これは、報告書の中でも書いてある通りですが、2点に亘って書きました。
一つは学校図書館に関わる関係者として、もう一つは学校図書館に関わる組織についてであります。組織としては学校の中の組織と学校の外の教育委員会といった組織との関わりについて書いてあります。
学校図書館に関わる関係者については、校長、教員、教育委員会などから来た方々の意見は、やはり法的にきちんと明示する必要があると言っています。校長は校務を司る者として学校教育法第37条第4項に書いてあります。各学校の教育課程の編成に責任を有する立場から、学校図書館が当該の学校の教育課程の展開に寄与するよう校内の諸条件の整備を図る必要があるとしています。
教員については児童生徒の教育を司る者として(学校教育法第37条第11項)、児童生徒の読書活動や学習活動等において学校図書館を積極的に活用して教育活動を充実させること等に努める必要があるとして、そういう仕事をしていくことにあります。司書教諭についてもそういうことが書いてあります。学校図書館担当職員の職務について書いてあるわけです。司書教諭と学校図書館担当職員との連携協力が非常に重要ということで字数を多くして書いてございます。教育関係についてはいろいろな実情を踏まえながら、考えていこうとしている経緯がございます。
それから、校内の組織についてはいろいろな呼称があったりいろいろなケースがあります。また、報告書に関連して資料ということで、いろいろ各学校でこういうことを考える時に、学校経営方針を受けた学校図書館の利活用を重点にしています。それから教育委員会では、図書館経営方針の例を示しています。特に学校図書館担当職員の研修の例として、東京都荒川区の事例が非常によろしいということで、荒川区の学校図書館支援センターのマニュアルから、その学校の校長先生をお招きしてお聞きしました。
もう一つは横浜市、これはどうしてかというと、去年から学校図書館担当事務職員の採用を5年間にわたって行うことを進めておられます。横浜市の場合はどうして学校司書または司書の資格を持っている人採用しなかったのかという質問が出されています。担当の方からの回答としては、横浜市はボランティア活動が非常に盛んな所なので、学校図書館もボランティアの方々も多く活動していらっしゃる。今回も学校図書館担当職員を採用するに当たって、ボランティアさんの方々にも応募していただいていた。ところがその方々は必ずしも司書や司書教諭の資格を持っているとは限らなかったので、そういう現実を踏まえると司書の資格は問えなかったのだということでした。今後どうなるかはわかりませんが。
■専門職としての哲学
今後の方向はどうかということでございますが、少なくとも、最初に申し上げましたように仮に6月に、学校図書館法の改正が行われたとしたら、改正を行って、具体的にどういう条例を作るかという方向に議員さんたちは進むと思われます。その間に、学校司書の講習とかが行われ、もう一つ非常に重要なのは、技術的なことですが、現在関わっておられる司書の資格を持っていないわけですから、講習を受けて資格を取ることになります。実務経験も評価することになっています。
それから、専門職としての要件があります。資格として設定されるのであれば、そのための試験も考えられています。今回学校図書館法が改正されれば、技術的な段階をどうするのかというレベルの話と、ものの考え方として、学校司書という公的な資格を持った専門職集団ができるとすると、やはり「学校司書とは何ぞや」ということについて説明するためのいろいろな作業が必要で、そこには学校司書という専門職としての世界観であるとか専門職としての倫理観、哲学的なことを考える必要があります。
図書館司書の場合は、あまり考える人はいないのですが、例えば岡村啓二先生という大学の先生の考え方ですが、やはり司書の世界観、それぞれの専門職を持っている人、弁護士さんも教員の方もお医者様もそれぞれの分野の世界観を持っています。司書の方も世界観を持っています。そしてそれは切実な世界観であります。司書の人は学校図書館が充実するのであれば、いろいろな法律との関係も考えておかなければならないそれぞれの専門職としての哲学、生き方示していくことが必要となってくるということでございます。
■おわりに
学校図書館が充実するのであれば、学校図書館法だけでなく、社会的に法律との関係も整備する必要がある。今回の議論の中でもそうですが、著作権法第31条です。学校図書館は当てはまらないと言われていますが、私は納得がいきません。今回も学校図書館とは何なのか、少なくとも参考にさせていただいたアメリカのスクールライブラリアン協会の例を借りれば、学校図書館は知的な創造の場所であるとしています。子どもたちの、例えば私は、図書館を活用した調べ学習のコンクールの審査委員をやっていますが、あれで出されている作品はもう素晴らしいですね。学校図書館を活用して素晴らしいものが出来ている、素晴らしい作品を作っている。その中には本になっているものもあります。お一人覚えていますが、中西書店から出た本があります。
これから学校図書館担当職員が配置されて司書教諭がいれば、まさに子どもたちにとって知的な創造の場である図書館が学校図書館にも当てはまると私は思います。その辺はこれからきちんと議論をして深めて、知的な新しい社会の到来の中での学校図書館の役割を考える必要があります。社会の著作権審議会の委員を説得して、もっと図書館の社会的な重要性、著作権法第31条というのは、知的な創造の促進のための法律ですから、そういった意味でもこれからの学校図書館の方でも内容を深めていくことが大切だと思うわけです。