平成27年度学校図書館学会記念講演記録
演 題 教科書と読書への夢―国語教科書作りの経験から―
光村図書出版株式会社代表取締役社長
日本学校図書館学会顧問 常田 寛 氏
日 時 平成27年5月23日(土)
場 所 帝京科学大学
みなさん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました光村図書の常田でございます。小川先生から今入社60年と言われましたが、60年は行っておりませんで、入社して53年間くらいだと思いますが、編集の仕事をほとんどやってまいりました。今日は、教科書のお話をということですが、はたして、私がこれからお話させていただくのは、自分の経験ですし、一出版社のことなので、どうかなという気もございます。いずれにしましても、教科書が教材になっていく過程は非常にいろいろ複雑ですし、いろいろなできごとがございますので、そういう面をできるだけご紹介させていただこうと思っております。たびたび我が社の話になってひょっとすると自慢話のようになると困ると思いますが、そういうつもりはございませんのでひとつよろしくお願いしたいと存じます。
それでは私のやった経験ですのでそれをご紹介させていただきたいと思います。今お手元にお配りした教科書の中にも依然残っている教材でそうとう長く使われている教材があります。これ以外にももちろんたくさんあるわけですけれども、今日は、できるだけ今も使われている教科書の中の教材を中心にしてお話し申し上げたいと思っております。
教科書が出来るまでですが、先生方はすでにご存知の事と思いますが、ざっとここに示しましたが、我々の仕事というのは、実際に子どもの手に渡るまでにはスタートしてから検定に出して、採択があって、そして子どもの手に渡るまでにおよそ4年かかります。それで編集期間というのはここにありますように2年と書いてありますけれども、実際には1年半ぐらいで、残りの半年ぐらいというのは、白表紙(教科書で印刷して見本通りになっていて表紙だけが白い表紙で出すという形ですので、全部印刷から何から一緒になったもの)を出さなければならないということですので、実際に編集会議などに関わるのは1年長くて1年半。実質1年でほとんど決めていかなければならないという状態です。4年あるからと思っていても、とても短いので、我々にとしてはここに集中的に仕事がかかってくるという訳です。同時に編集している間には、中学校もスタートしなければならないということで、オーバーラップするので非常に錯綜する仕事であります。
今年は中学校の採択年度なので、編集の方は見本本になっているのでほっとしていることだと思いますが、また新しい指導要領がどういうふうになるか注目されている所で、今から準備をしなければならないと思います。また、道徳の教科化、小学校の英語ということでございますので、これを早く指針を示していただけばいいのですけれども、おそらくなかなか出てこないので、予想で仕事をするとあとで齟齬をきたしてしまったりするので、この辺のかねあいが非常に難しいと思っております。
4年間の中で編集期間というのは、こんな時間しかないということをご理解いただいたと思います。そして皆さんご存知のように、小学校の教科書というのは物語教材と詩教材は外部に公表されている作品がいっぱいございます。そういったものを最終的に教材にどれを採るかということで、位置付けていきます。しかし、あとの60パーセント近くの教材というのは、作文教材や聞く話す教材、説明文など、そういったものは全部書下ろしになります。特に一番時間がかかるのは説明文であります。説明文というのは、我々が執筆しても感動が生まれるような文章にはなかなかならなくて、やはり題材が決まりますとその専門家に交渉いたしまして原稿を書いていただくことになります。学年が「2年生ですよ」と言っても専門家が書く最初の原稿はとてもではありませんが、5・6年生のレベルですので、2年生にまで下げていくのは至難の業で、だいたい3・4回書き直しをお願いします。そのうちに大変怒られたりします。私もさんざん怒られてしまったことがありまして、「いいかげんにしろ」と言われて、それでも途中で投げ出すわけにはいかないので、なんとか説得をして書いていただきました。
今日はパワーポイントに入れておりませんが、かつて「脳の話」を子どもたちが興味をもつので、6年生に「脳の仕組の話」を京都大学の久保田先生にお願いをしたら、快く引き受けていただいたまでは良かったのですが、途中でニューロンとかシナプスというのが出てきまして、それでは子どもには分かりにくいので書き直していただけませんかという所から始めたら、「うん、やってみるよ」とはおっしゃったのですが、結局「無理だ」と言われてしまって、語彙についても非常に専門的で難しいので弱ったなと思って、3回ぐらい書き直していただいた後、また怒られますので、附属の小学校にお願いして実際に授業をしていただいて、初発の感想でやっていただいて、子どもたちがどこでつまづくか、どこで理解できないかを見ていただいて、指導教官の方と話をしていただいて、これならということがあって、やっとクリアしました。しかし、「ニューロンとシナプスは絶対にだめだ」とおっしゃるので、何か絵で示せませんかということになりました。普通の絵描きさんは描けません。先生の説明を受けても、よく分からなくて、やはり科学的なものを描ける絵描きさんをお願いして、久保田先生のもとでご指導をいただきながら作ったということがありました。こういうことは私だけでなく、多くの編集部員は必ずどこかで怒られて投げ出されることがしばしばあります。それは現在でもあります。今は、以前よりは、先生方も子ども向けの文章を書かれていることが多いので、前に比べますと大変楽になっていると思います。
教材というのは、いろいろな作品や説明文が原稿として完成いたしましてもそれは完成ではなくて、そこからの作業が大変です。教科書のページ割りをしたり、絵の位置とか文章との関係、何を入れなければいけないのか、この教材には絵がいいのか写真なのかといったことを含めたレイアウトということをやっていかなければなりません。こういった作業が延々と続くわけですけれども、それがどの学年かが抜けてしまうというと、なかなか作業が進まないので一斉に全学年が足並みを揃えるような形で教材が確定していかなければならないということで、これはかなり時間のかかる作業であります。
ここからは教科書の学年に沿って具体的にどういうことをやってきたのかということをお話をさせていただきたいと思っております。なんと言いましても、国語の教科書は、1年生も最初の段階が大事であります。入門期の第一教材というのが子どもたちがやる気になるかどうかのカギを握っておりますので、ここに非常な時間をかけて作成いたします。
これまで何回か入門期を作成してきて、改訂の時にいろいろやってきたわけですが、この「ウミガメの誕生」という入門期教材は、4場面構成ですが、これは学校の指導者の先生方、それから子どもたちにも大変評判が良かった教材でした。そして活発な授業ができた教材であります。これは一度昭和52年版あたりに登場したのですが、そのあと一回休んでもう一度復活させて、かなり長期に使いました。
入門期というのは子どもたちが幼稚園でいろいろな活動をしてきていますから、文字も読めますし、いろいろなことが話せるのですが、小学校ではいろいろな子どもが集まったクラスの最初の段階で、話せるからということで進めるわけにはいきませんので、この入門教材でもって言葉に関しては共通的な理解をさせていかなくてはならない。そんな教材で、題材的には、これは、ウミガメという非常にリアルな事実から根ざしたものをお話の形で擬人化しておりますけれども、ほかにも子どもたちが主人公で出てくるファンタジーなどもあります。動物が出てくるお話ももちろんあるわけですが、これらは4場面かもしくは8場面で構成することが多いのですが、できるだけ起承転結がはっきりしていて4場面構成ぐらいが子どもの集中力をそぐわないでやれる教材だろうと思います。
この「ウミガメの誕生」は、最初の扉のところでウミガメが生まれて出てくるところですが、一匹のウミガメからは大体250~300の卵が産み付けられます。それで、何日かすると生まれて地上に出て来るわけですけれども、そのときに、一番下で生まれてくる子はつぶされてしまうのではないかと思われますが、そうではなくて、実際には穴の壁面を伝って元気なものが順におもてに出てくる、そういった事実関係をはっきりきめた上で、画家とも相談していかなければなりません。「ウミガメ誕生」の時にはウミガメの研究の第一人者で姫路水族館の内田至館長さんにご相談させていただいて、どこまで擬人化したらよいのかというふうなことを相談しました。そして、実際には天敵がもちろん出てくるわけですけれども、いきなり天敵が出てきてしまうというのも、子どもたちにとっては大変厳しい話なので、「応援団的役割を担えるのはどの程度でしょうか」ということを伺ったところ、ここに出てくるようなシオマネキだとかチドリだと天敵にはならないので、「それは画面にあしらってもいいのでしょう」というお話がありました。
そして、生まれた順に急いで海に向かって行きます。海に行くときに、一斉に一本の道のようになっていますけれども、朝の暗いうちにスタートして、夜明けの前にほとんどが海に入っていくという状態なのですが、いっぺんに放射状にみんな海に向かっていくのだそうです。そしてそれは天敵に見つからないようにということと、一列ですと災害に遭う場合もあるので、一斉に広がっていくのだとか、そういう事実関係を絵描きさんと一緒に相談しながら、そして擬人化がどこまでならいいのだろうかというような話をします。この程度なら、子どもが「一緒に行こうよ」とか「早くおいでよ」とか言葉が出てくるような場面というものが許されるだろうということで、事実に根ざしてはいるのですけれども、必ず三者でこういうものを作っていきます。この絵は実際には明るすぎてしまうのでしょうが、このように、もっと広がって出てくるそうです。ウミガメの場合は海に到達すればそれで安心というのではなく、海の中に入ってからも、大きな冒険が待っていますし、危険も待っています。そしてウミガメはまた自分が生まれたところに戻ってきて産卵するということになります。ですから、生まれて海に冒険に行って、また戻ってくる、そういったことも、これは示唆しているわけですが、一年生ですので、こ内容が4場面で学習していき、ストーリーの流れが掴みやすいことと、どこから絵を見ても発言できるということでよかったのかなと思います。言葉としては、清音だけが出ていて、場面の説明程度が提示されています。
現在使用中の入門期では、最初の場面で、「朝」という詩を中川李枝子先生に書いていただいて、これは先生のお力のお借りして最初にみんなで声に出して読むわけです。大きな声を出して読んで、それから物語に入っていくということで、最近は、濁音も長音も出てくるようになりました。学習の場でもそれは抵抗なく行われるような時代になりました。これは子どもたちが中心で活動する現実の世界からファンタジーの世界に行ってまた、現実に戻るというようなことで、すべていろいろなことで動物も子どもたちも一緒につながるというテーマで学習が行われていきます。これがいまの入門期です。
それから1年生の教材で「おおきなかぶ」。これは各社共通教材ですが、今までは福音館の佐藤忠良さんの絵本が有名ですが、私どもも最初の頃は佐藤忠良さんの絵だったと思います。昭和46年ぐらいの編集会議等々で、その国の作品はできるだけその国の画家に描かせたらどうかという提案がございまして、それではできるところからやっていこうということで、この「おおきなかぶ」はロシアの民話ということで、依頼しようということで始めました。今でしたら東京にいて、エージェンシーと交渉すればできますが、この当時はソビエト時代でしたので、向こうに行かなければだめだったので、会社から私ともう一人の編集長と二人で行きまして、直接向こうで画家のアトリエを回って画家を決めて契約をして帰ってきたものです。
その時に、私としては、皆さんご存知のラチョフに依頼したいと思っておりました。おなじみの「てぶくろ」など動物をきれいに描く絵描きさんで、素晴らしい方なのでラチョフさんに頼みたいということで行ったのです。向こうのエージェンシーでは、「ラチョフさんは国民栄誉市民で悠々自適なので、あまり細かい仕事はできないから若い画家にお願いしてください」ということで、それから毎日4・5軒ずつ画家のアトリエを回りまして、比較的若いベ・ローシンという方にお願いしました。
この時はもう1編、今の教科書にはないのですが、「飛び込め」というトルストイの教材がありまして、これも一緒に頼もうということで、カリノフスキーという画家に依頼しました。当時共産圏でしたので、絵を頼むとこれだけに専念して下さるので、締め切りは1か月もいらないということで、もう一度取りに来てくださいということで、依頼したのは9月の末ぐらいのころだったと思いますが、11月初めに取りに行きました。
ベ・ローシンさんに決めて頼んだ時に、「佐藤先生の絵がとても素晴らしくて、柔らかくて、とても民話の雰囲気が伝わってくる。自分では描けないかもしれない。」とベ・ローシンさんが話していたのですが、「引き受けた以上全力でやる。」という。その時にいくつか要請がありまして、まずかぶの色は白ではなくて黄色にしたいと言われまして、私もギョッとしたのです。「えっ、何でですか?」と言ったら、「こちらではかぶは黄色いんですよ。そしてこのかぶが何であのように抜けないかというと、一番最後の場面に出てくるのですが、底の方から長い根がはっていて、それが地面にしっかり根づいているのでなかなか抜けないのです。」ということで、「そういう絵にしたい。」という話がありました。
でもそれを日本でやると、ちょっと戸惑ってしまうので、ふつうに描いていただくわけにはいかないですかと言いましたら、契約が済んで帰る時に、10個ぐらい本物を持ってきまして見せられました。表面から中も全部黄色で本当なんだなと思いました。それではこれを持って帰って、会社や著者の方々を説得しなければならないということで、それを持って帰りました。検疫のことなどもありましたが、向こうがしっかりやってくれたので、無事持って帰って、スープにして食べました。大変甘くておいしくて当時の社長や役員の人たちにも喜んでもらったのですが、「うまいけど、なんとか白にできないかな。」と言われました。それは約束できないということで進めました。
もう一つは、最初の場面でタネを蒔いている絵ですが、これはていねいに一本ずつ手で植えるように蒔いていくので、そういう絵にしたい。それから服装については、おじいさんは野良着なんだけれども、孫とおばあさんは民族衣装を着けている、そういう絵にしたいと言われまして、冒頭のところに小屋がありますけれども、あの小屋におじいさんと3人が来て、おじいさんは野良着で外に出て、孫とおばあさんは中でおじいさんの仕事が済むまで待っているのだ、だから服装はおじいさんは野良着で、孫とおばあさんは民族衣装なんだ、そういう絵にしたい、それもいいですねということで描いていただきました。そこまでは順調にいったわけで、ふつうは絵が出来たら、送ってくださいで済むのですが、これは何度も経験しておりまして、同じ時間の経過の中で、次の場面が出てきたりする時に、これだけ複雑な衣装の模様とかですと、必ず絵描きさんは、手を抜くわけではないのですが、筆のタッチの勢いで忘れてしまって、違う色を塗ったり、リボンが違ってしまったりするので、これは必ず子どもから注文が来ます。それが十分分かっていたので、もう一度取りに行って見せてもらうということで1か月後に取りに行きました。 案の定、最初の場面と次の場面とかいろいろなところで、そういう齟齬ができておりまして、「いくつか直してください」と言ったら、「一週間滞在しろ」と、「そうしたら直すから」と言われ、その間、「モスクワからレニングラードの方に行って来い、エルミタージュ美術館などを見てきたらどうか」と言われて、エルミタージュに行ってきました。戻ってきてしっかり点検して帰ってきました。
もう一人のカリノフスキーさんという人はローシンさんよりもベテランの方でしたのでほとんどそういうことはありませんでした。ヨーロッパでも何冊か絵本を出していた人なのでそういうことはありませんでしたので、絵をいただいて帰りました。絵を外国から日本に持って来るということはけっこう大変なことで、ソビエトの方では、日本に対して配慮してくれて、「この絵は教科書のために描いたものである」という公式の証明書を発行してくれました。そんなわけで、これが無事に着いたのですが、その後「おおきなかぶ」の絵が初めて教科書に出たときは、全国的に大変に話題になってしまいまして、特に採用のときには、これはおかしいとか、これはだめだろうと言われました。一人ずつに説明ができませんので、なんとか頑張って出しておりまして今に至っているということで、今はほっとしていますが、この3年間近くは質問の連続でしたので、しんどかった思いがあります。
この時に、先ほど申し上げましたように、外国のものは外国のということでスタートしましたので、この教材も同様に韓国の民話ですが、作家の方、画家の方、これは在日韓国の方ですけれども、お願いしました。日本の画家でもしっかり勉強して外国の絵であっても描けるのですが、なんとなくその国の雰囲気が、その国のことを知らないとできなくて、この場合も日本とは全然山の形が違うし、特に家の中の雰囲気というのが、その国のものでないと出ませんので、そういった方にお願いして、韓国の民話ということで、雰囲気が出て、子どもたちにもそういう受け取りができたのかなと思っております。
それから、絵本から採った作品などは、その絵本のものを活用していくということをやっておりました。例外的に許諾がおりない場合もあります。今は、スイミーというのは絵本から採用になっていますけども、始めの3年間ぐらいは、交渉したのですが、レオ・レオニさんがどうしても、日本の教科書はB5版で今の版より小さかったので、プロポーションが全部変わってしまうし、自分の意図と違うから駄目だということだったので、日本人の画家の方でしばらくやりまして、毎年のように説得をし、理解を求めまして、やっと了解が得られました。今は原画そのものを絵本と同じものが使われています。外国の物は原則的にそういった形で使っております。
次に 「くじらぐも」です。これも一年生にある教材です。これについてお話をしたいと思います。これは、私どもでは、昭和38年、広域採択になった時期から既成の教材探しだけではとても間に合わないので、改訂の時期の2年ぐらい前までに30人ぐらいの作家の方にオリジナルの原稿をお願いしております。現在もそういう形で続けているわけですが、30人に頼みましても、まず教材となるのはゼロの時もありますし、1編か2編採れればいいなというぐらいの確率です。テーマを決めることはお願いできませんので、低中高ぐらいのレベルで書いていただいておりますので、出来上がりをじっと待つしかございません。
「くじらぐも」は昭和46年ぐらいに出た教材です。中川李枝子先生がまだ保育園におられたころですが、石森延男先生から、「ぜひ中川先生に依頼をしなさい」ということで中川先生には石森先生からもお手紙がいったようで、中川先生はプレッシャーを感じて大変だったようです。一年生というのは全国で使われるわけですから全国の子どもたちにどういう内容でどんな話をしたらいいのか、明るくなければまずいだろうなとか、北から南までどんな言葉をつかったらよいのかなどと、大変なプレッシャーだったようです。これは唯一、この時代にオリジナルで書いていただいて採用されたものですが、この作品が生まれるのはそういうプレッシャーの中で、中川先生は小学校の6年間に3回ぐらい転校した経験があるそうですが、その時に一番慰められたのは、親しくなった友だちと別れるということを3度もやっていた中で、共通してホッとする時間は、どの学校にも広々とした校庭があって、そこにたたずんで空を見上げるということがとても自分としては心休まる時間だったと話されていました。それを題材に書いてみよういうことで、この作品ができたと中川先生はおっしゃっておりました。
中川先生は、保育園に勤めておられたので、子どもたちの心理をつかむことが非常に優れていると思います。しかも、あっという間にファンタジーの世界に飛び立って行ける。その構成というか、言葉づかいというか、その表現といいますか、それは非常に見事です。中川先生の作品というのは、ほんとうに、大人から見ると「何で」と思いますが、子どもにとってはそういう世界に誘なわれるのが大変に心地の良いものだと思います。
これも見事に最初の場面から、クジラの呼びかけで子どもたちがスッとのぼっていきます。そういうことに違和感もなく入っていける、これが子どもたちに人気がある証拠だと思います。そういう教材ですと、リズムも生まれるし、子どもたちも自分に同化して、読んでいけるので、これは大きな声で読んでいる。そして中川先生がおっしゃるには、子どもたちはファンタジーの世界はどんな場面でも好きなんだけれども、楽しければ楽しいほど、今度は元に戻れるかしらという不安感を抱いてしまうので、最後は元の世界に戻してやりたいということで不安をなくしてあげたいとおっしゃっています。教科書ではそういう構成になっております。
で、そういう意図に対してどんな絵がいいだろうということで検討したのですが、やはり先ほど見ていただいた柿本幸造さん、カメの絵ですね。あのような非常にソフトな、そして丁寧な仕事ぶりの画家がいいだろうということでこれは柿本さんで行こうということになりました。図書館などで、至光社の「どんくまシリーズ」というのがありますが、これも柿本さんです。この時は柿本さんからいくつか質問を受けます。この作品は一体どのくらいの学校の規模を想定しているんだろうとか、学校や町はどんなところだろうかなどと聞かれます。当時、先生は鎌倉の材木座に住んでいらしたので、鎌倉もそんなに大きな町ではないから、ちょっと小さく、海も近くて、山もあって、というイメージでどうでしょうかと。それではということで鎌倉の二つぐらいの学校を見に行きましてイメージをつくっていただきました。その後、体操しているのは分かったけれど、いったい子どもは何人空に飛ばすのか、男女はどうするのか、そういう話があって、画家は24人ぐらいにしたいという話だったのですが、この当時、学級の数も増えてくるし、1学級の数も増えてきたので、僕としては30人ぐらいにしたらどうでしょうと言ったら、それは多すぎるのではないかと言われました。これは数えていただくと分かりますが、男女16人ずついます。先生も入れて33名がこの上に乗っているわけです。これだけの子どもたちや先生が乗ってつぶれないようにするにはどのくらいのくじらだろう、そういう点も画家は探究します。30人でも大丈夫ですよと言いましたが、30人以上ですから、雲の上の子どもたちが、これだけ小さくなって、町の高さが逆に上手く出たのではないかなと思います。そんなことで、「このくじらぐも」は、中川先生と柿本さんとのコラボでできて、これは息の長い教材になっております。こういう教材を作る時は大体こんなふうな形で進めてまいります。
それから、2年生の「たんぽぽのちえ」という説明的な文章です。昭和46年から相当長きにわたって使われております。これは編集作業の仕事がスタートをする1年ぐらい前にやることなのですが、部内で編集委員会の意図を受けて題材探しをいたします。その時にミーティングの中で入社1年目の女性が、植村利夫さんの研究会に参加したときだったと思います。この方は植物学者です。この方の会合に出て、その後の集まりの雑談の中で、「人間と同じように、たんぽぽにも知恵というものがあるんだよ。」という話を聞いてきたという話を我々にして、「これは面白そうだ、是非教材にしたい。」ということがありました。我々もその時聞いて、なるほど、それはいい話だ、これはいけるねということで、植村先生と教材作りをしたらどうかということで、進めてもらった作品です。その彼女は植村先生と教材作りをしてぎりぎりまで修正を加えて完成してくれたのがこの作品です。
なぜ「たんぽぽのちえ」なのかというと、その時に彼女が話したのは、たんぽぽは一斉に花が開いて、葉よりもかなり高いところに花をきれいに咲かせますが、ある日、右の絵のように、茎が地面すれすれに寝たようになって、つぼみだけつぼんでいて、枯れたように見えるので、これは朽ちちゃったのかなと思っていたわけですが、実はそうではなくて、これはじっとあの形で休みながら養分を綿毛のところに送って、綿毛が十分に育つようにしていることと、もう一つは、その綿毛を遠くに飛ばすということで、天気が良くて、風の状態が非常に良くて、風の方向性もいい、そういう日に、すっくと立ち上がり、そして高く高く立ち上がって、一斉に開いてタネを飛ばす、そういうことがここにあるんだよということで、これを「たんぽぽのちえ」という形で表現されたわけです。これも思い切ってそういうタイトルで教材にしようということでやりました。
しかし、当時の説明的文章として、「たんぽぽのちえ」というような擬人化したことをタイトルにするのはいかがかということもあって、それは説明文とは言えないのではないかとも言われましたけれども、2年生の学習指導要領上の目的というのは、たんぽぽの一連のことを順序よく学習するということが主体なので、そこは損なっていないし、そういった科学的な目というのもきちんと押さえられているので、2年生ということを考えればこれで十分いけるのではないか、理科教材ではないので、国語ですので、国語の目的を主体にやっていくということでこれを出しました。それが今に至っているわけです。
先生方もご存知のように、最初の絵は熊田千佳慕さんで、ファーブル昆虫記などの全集の挿絵を描いた方で、図書館などで目にされると思いますが、ご本人は非常に仙人のような方で、横浜に住んでおられました。NHKでも取り上げられたりしたのでご存知の方もいると思いますが、本当に自宅の庭で地面に這いつくばって、「常田君も一緒にやろう。」と言って絵を描く人で、蟻などを這って追っていくんです。とても自然体で、ていねいな絵を描いていました。しかし、版形が変わるたびに教科書では、レイアウトが変わったりしますので、千佳慕先生をずっと使いたかったのですが、亡くなってしまったりして、できなかったことが残念です。今はややイラストっぽい、ちょっと硬いなという気がしますが、正確性をむしろ重視しているのかなと思います。これはちなみに、これは西洋たんぽぽではなく、日本たんぽぽです。西洋たんぽぽはもともと大きくなってしまって、ほっといてもどんどん繁殖してしまいます。日本たんぽぽの話であります。
それからこれもお話しておかなければならないと思います。2年生の「スーホの白い馬」ですが、最初に教科書に取りあげたものは福音館から出ました『子どもの友』という薄い冊子からでございます。これは、作者名もなければいきなりタイトル「白い馬」で、スーホの物語から入っておりましたので、2年生には非常にふさわしかったなという気がします。絵の方も赤羽末吉さんが描いておられました。そのあと、教科書に載ってから福音館でモンゴルの民話を大塚さんが再話をするということでハードカバーの本が出ました。私の方では最初のものを使いたいということで何年かやっていましたが、一方で、この本が手に入るものでないので、原典を変えてくれという話があって、再話に替えました。現在の「スーホの白い馬」は馬頭琴の由来話が冒頭に入っていて、それから物語が展開していく。最後に馬頭琴の由来の話に戻すという構成になっていて、ちょっとむずかしいかなという気がしますが、教科書も赤羽先生に描いていただきました。現在のものは、赤羽先生はすでに亡くなられてしまい、新たにその国の画家にということで描いてもらいました。モンゴルに長く住んでいたという方で、現在は、北京の雍和宮の日本で言えば学芸員のような仕事をやっている方です。これは赤羽先生と全然違ったモンゴルになっていくのかなと思いましたが、由来話だとしたら、これもいいのかなと思いました。
ちょっと余談ですが、赤羽先生は、私が最初にお願いに行った頃は、まだ絵描きとしては独立しておりませんでして、アメリカ大使館の広報部長をされておりましたので、私も初めてアメリカ大使館に行ってきました。中をちょっと見せていただきましたが驚きました。なんでこういうお仕事されているんですかとお聞きしましたら、赤羽先生は大連の方に長くいて放送局で広報の仕事をされていたそうです。私どもの著者の八木橋雄二さんと、放送局の仕事で一緒したそうです。放送局では森繁久弥さんがアナウンサーをしていたそうです。この3人はよく会っていたそうです。私もそのお仲間に紹介されてお目にかかったことがあります。その後赤羽先生は独立されて、すさまじい勢いでお仕事をされていました。本来、ご存命でしたら、教科書とはいえ一つの文化遺産だと思うのでずっと赤羽先生にお願いして載せたかったのですが、それはかなわなかったので、変更したということであります。現在はちょっと大人っぽい絵ですが、なかなかきれいな絵です。これはこれでしっかりした絵だなと思います。
「白いぼうし」の絵のことです。これはあまんきみこさんの作品ですが、「車の色は空の色」の中のものです。昭和46年頃に、教科書に登場したのですが、当時はファンタスチックなものは学校では非常に嫌われていました。扱いにくくて困る、しかも、これは4年生だ。1・2年生なら良いが4年生になったら非常に扱いにくいのだと言われましたが「車の色は空の色」の方は、北田卓史さんという画家でしたが、教科書はなんとしてもいわさきちひろさんにお願いしようということで、昭和46年の時に描いていただきました。非常にすばらしいので、ずっと使いたいと思っていたのですが、何度か版を重ねる間に、そこに、いろいろなところで話題になったりしました。先生方や学習者からだと思うのですが、「季節を明示してほしいなあ」ということがありまして、「今日は6月のはじめ」というフレーズが入ってきました。それから「夏がいきなり始まったように暑い日です。松井さんもお客も白いワイシャツのそでをたくしあげていました」というのが入ってきました。季節感がより明確になって物語としては締まってきたのですが、実は大変違う問題が起きてしまいました。いわさきさんのこの絵を見ていただくと、松井さんはワイシャツではないのですね。上着を着ているのです。それで、私も、ファンタスチックな絵でもあり、いわさきさんの絵をずっと子どもたちに触れさせておきたいと思って、クレームが来たりしたのですが、十分理解できると掲載を続けておりました。とうとう学んだ子どもたちから、あまんさんの方にも、我々の方にも「おかしい」という注文がまいりまして、弱ったなあという思いをしました。この時には、いわさきさんはいらっしゃらなかったので、残念ながら描き換えができなかったのです。今は、別な方でやっております。
今のものですが、ご覧のようにタッチもすべて違う現代風の絵ですね。むしろ作品からいろいろな想像を豊かにしてもらおうという趣旨の挿絵になっております。でも、いわさきさんの絵は捨てがたいというご意見は今でもあります。
今では、おかげさまで、ファンタジーの作品であっても、指導者の方も抵抗があまりなくなって、とてもいい教材だということで、ご評価いただいているのでよかったなあと思っています。一斉に今は各社ともかなり豊かなファンタジーが載ってきているので、これはいいなあと思っております。
今、あまんさんのことが出たので、あまんさんについて申し上げておきたいのは、実はこの「ちいちゃんのかげげおくり」です。先生方は影送りという言葉は、遊びの中でご経験がおありだと思います。あまんさんも子どもの頃に、この影送りと言う遊びを楽しくやったのだそうです。そういう幼児体験の中で、この作品が生まれたわけですが、当初、あまんさんの構想の中では、「なみ」さんというおばあさんがいて、なみちゃんがとても楽しく影送りをして遊んだというのがあって、なみちゃんの子ども(むすめ)にちいちゃんを想定し、そのちいちゃんのむすめに、せいこちゃんというむすめを登場させるということで、当初は幼児体験された影送りをテーマに三部作にするというおつもりだったようです。「ちいちゃんのかげおくり」を書いている間に、これは戦争中の物語ですので、このちいちゃんも天国に召されてしまうという結末になってしまったので、最初に思っていた三部作という構想をあまんさんは断念したというお話を何度か伝え聞いております。これは悲しいお話ですけれども、前後にそんなふうな影送りについて、あまんさんの思いがあったということを聞いておりますので、先生方もそんな機会があれば、あまんさんに直接きいていただいてけっこうですし、機会があればそんな話をしていただければというふうに思っております。
次は「ごんぎつね」です。これは今や教科書全社が載せております。それぞれ絵が違います。どれがいいかどれがわるいかと言うつもりはございません。各社の意図によって違いますので、それはそれでいいことだと思います。又、この作品はとてもすばらしい描写文なので、教材化したら絵はいらないのではないかと思っています。ほんとうは。したがって、できるだけ絵というのはシンプルで、文章に沿ってイメージがわくわけですので、子どもたちにあまり固定したイメージにならないようにするにはどうすればよいかということをかなり議論を経まして、この場合は、初めて挿絵をやるかすや昌宏さんに頼んで、それも切り絵の手法でやってもらおうという話にしました。
かすやさんも、クレパスで描いたり、水彩で描いたりして、きれいな絵本を作っておられましたが、挿絵というお仕事を初めてされるということで、「是非ごんぎつねについて自分なりに研究させてほしい」ということで、いろいろなところに出かけて行ってくださいました。実際に名古屋の方にも行って、新美南吉の記念館その他を見て、実際に河原なども見てきたという研究熱心な方で、ぼくらの提案に対して、切り絵でやってできるだけシンプルにしようという話になりまして、これがその出来上がった作品です。
切り絵というと、この場面を見ていただくとお分かりになるように、ふつうは背景がカラフルで、手前にくるごんぎつねは真っ黒な状態になってしまいます。普通はそうなるわけですが、そういうものを何とか普通の絵のような感じで切り絵という手法でできないのかということで、かすやさんと打合せを重ねました。どんなふうに作品を作るのか、これを言葉で説明するのは難しいのですが、一番手前のごんと網を張っている兵十とこれが二番目で、空と遠景になっているのが3番目ということで、教科書の2倍ぐらいの大きさの和紙に原画を一枚描きます。1番手前に前景を描いて、2番目を描いて、3番目を描いて、三枚並べておく。それを上から間接照明を与えて一番手前から撮影する、そういう手法でやりました。したがって、これは原画がなく、フィルムだけです。この撮影が済んだら、もうその原画をとっておいても意味がないというか、もう波打ってしまったり、縮んでしまったりして使い物にならないのです。その場限りなのです。
これを全部で9枚作るので、私も手伝ったのですが、二日がかり、徹夜で、休んでいる暇はないので、できたら撮影、できたら撮影というやり方をやっていったのです。大変な思いをしたことがあって、出来上がった時には二人で倒れ込んでしまいました。かすやさんの家でやりましたので、大変だった思い出が残っています。それがこのようにきれいになって後ろまで3枚重なるのですが、ふつうの絵のような手法ができましたが、全部こんなことをやっていたら、絵描きさん、一枚作るのにこれだけやっていて何十万もらえるのならいいでしょうけれども、それは無理なので中々この手法は大変です。教科書でかすやさんがやられて、新しい試みとしてやられたのは、これが最初です。
この絵はかすやさんの一番のお気に入りなのですが、「それは何でですか」とお聞きしましたら、今まででしたら、ごんは一番手前の方にいて、加助と兵十の話を聞いている場面なのですが、この場面だけは、ごんも暗闇の中に入っていて、兵十と加助とそれから背景の状況とが一体化している、同じ空気感の中にいる、それを表現したかったという、これ一枚だけが違った雰囲気のものになっていますが、それ以外は切り絵なの手法が生きた形になっております。ちなみにこれは、私どもの場合だとごんの立場から文章を読み取っていくための手掛かりとして、挿絵は兵十の視点ではなく、ごんの視点から描かれています。
この最後のシーンとちょっと前のシーンのところは、兵十とごんのやり取りというのは、映画で言うと、文章を読んでいくと、お分かりのように、カットバックのように表現されています。そして、最後の場面をどのように描くかということも、かなり時間をかけた論争になりましたが、最終的にこのように象徴的にしたものにして、鉄砲の筒から一本の煙が出ているというふうなものになっています。これ4年生に理解できるかなという話になったのですが、そんな心配はなくて、十分子どもたちにはごんの気持ち、兵十の気持ち、そういったことが読み取れるお話になったのではないかなと思います、
そしてもう一点、かすやさんと教材作りをやったわけですが、これも実は影絵の手法です。したがって、これも原画はございません。これは、いまだに使われている教材ですが、難解なことは難解です。教え込もうとすると、めちゃくちゃ難しいだろうなと思います。しかし、5月と12月の情景というものを対比しながらイメージしてもらうと、学習者の子どもたちは十分理解がいくようです。この絵の中では、なしやカニというのは一つも出てきませんけれども、この挿し絵には非常に豊かな表現があると思います。文章を邪魔しないで、かつ、これだけの表現ができているのも、いいかなと、何か心に残ってもらえる教材になっていくのかなというふうには思います。2色でできるのですが、かすやさんの要望でぜひ4色でいきたいと言われました。私の立場から言うと、制作上は4色ですので、コストは非常に高くついてくるわけです。だけれども、非常に透明感のある深いブルーの色が出るということで、4色を使っております。
これもかすやさんというのは熱心で、「はい、分かりました、すぐに…」という形では受けませんで、じっくり教材を読んで、宮沢賢治が一体どんな時にこの作品をということまで調べてきて、イメージを作るという方でしたので、これはこれで実は大変です。いろんなやり取りをしながらやらなければならない方だったので…。それでもこの教材もかなり長期になってきております。まあ、こんなふうに教材を作っております。
時間的にはかなり押してきましたので、もう一つぐらいかなと思いますが、これは今でも使われている5年生の教材です。さっきの「やまなし」は6年生です。5年生の教材で、杉みき子さんが書下ろして書いてくださったものですが、これは、杉さんがどうしても書きたかった作品の一つです。ご本人がそうおっしゃってるのですが、自分としては童話を書くときに、特に昔のことを書くときに、かねてからいっぺんやりたいことがあるということを言っておられました。それは、杉さんは推理作家のアガサ・クリスティーが大好きで、ほとんど読んでおられて、こういう作品の中で推理小説の手法というものを活かせないかというふうにいつも思っていたのです。そこで、この「わらぐつの中の神様」という作品を書くに当たって、それを一回やりたいなあということで作られたというお話をされていました。
最初の場面は、おみつばあさんがお母さん(むすめさん)の話を孫に話をしている場面です。これはこの物語で言えば、現実の世界です。そこでおばあさんが世の中にはこんな神様もいるのだよというお話を語っているわけです。その話がずっとつながっていって、おみつさんが野菜を売っていたのですが、自分でもわらぐつを作りたいと、それを売りに行く途中のショーウインドーで見た赤い下駄がどうしてもきれいで諦めきれない。それでわらぐつを作って何とか買いたいと思っていたけれども、所詮、自分が作ったわらぐつは不細工なので、なかなか売り物にならない。ある日、若い大工さんがそのわらぐつを買ってくれて、翌日も、あくる日も、その次の日も買ってくれて、うれしかったという話が物語です。
最後のところで、絵が冒頭の絵と呼応する形になるわけですが、戸棚にしまっておいた赤いきれいな下駄を箱のまんま出してきて見せるのです、お孫さんに。お孫さんは気が付いたとは思うのですが、今の物語はひょっとしたらおばあさんの話かな、おじいちゃんの話かなと気が付くんだけれども、お母さんが助けを差し伸べて、「今のおばあちゃんの名前はなんていうの?」と聞きます。「山田みつ」というのを聞いて、「あ、これはおばあちゃんとおじいちゃんの話だ」と分かるという構成なのです。全員が作家になるわけではないから、子どもにとってはそんなことはどうでもいいことだったのですが、そういうことに気がついてくれれば何かを表現をする時に役立つのかなというようなことも杉さんとしては願いがあったようです。
これは、多くの学校で、授業で取り上げられていて、私も授業を何度か見たことがありますが、今の子はそういう面では先走って早く結論を読んでしまうので、余韻がなくなってしまって、もうちょっと違う教材が必要なのかなと今は、感じております。
こういう話をしていると、ほとんどの教材に関わってきたので、ほかの教材にもいろいろあるのですが、同じような話を長くしてもしょうがないのでこの辺で具体的なところは終わりにしたいと思います。そのほかに、読書について今の教科書ではどれくらい紹介しているかというと、年間で406冊ほど紹介しております。要旨とちょっとした解説になっていると思いますが、これは、全国の都道府県立図書館の推薦図書というものを集めて、それを集計して、上位の本をできるだけ取り上げていこうという視点があります。
それから、教材との関連の本も入れなければなりませんので、そういうものも入れました。それから巻末に図書リストを紹介するというのは当たり前のことですが、何よりも絶版になってしまっているものは原則的に取り上げないようにしようというふうにしております。こんなふうに教科書は考えて作っております。
大体、以上、私が関係してきた仕事の中で扱った教材はこんなところでございます。大変拙い話ですけれどもこの辺で終わりにさせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
監 修 常田 寛